2015年12月30日水曜日

狭小地での集合住宅計画・木造重層長屋(続)

狭あい道路の端部・19坪ほど住宅地を有効活用させた 木造集合住宅
厳しい条件の中、重層長屋形式とすることで4住居を実現させました。
この半年。計画はすすみ、現在、実施設計進行中。(詳細はこちら。)

来春早々には建築確認申請の予定です。
2016年 スタートの仕事となります。

みなさまも よいお年を。


2015年12月28日月曜日

新国立競技場(続)‥『緑』は必要なのでしょうか?

新国立競技場計画。隈研吾氏のA案に決まり、一週間ほど経ちました。
この計画案。私的にまだ、ちょっと腑に落ちないところがあります。

今月。JSCより候補のA案・B案2案のパースが発表されたおり、私は
A案の方は伊東豊雄氏の案だろうな、と考えていました。この10月、
都内で開催された伊東豊雄氏の講演で紹介されていた、シンガポール
で建設された氏の設計による超高層ビルを思い出したからです。

全体を自然の樹木で包まれた、高層オフィスタワーでありました。

建物(ましてや高層建築)に自然の緑をほどこせば、メンテナンスの
費用が当然掛かります。その費用を差し引いても、建物の付加価値が
上がり、賃料や入居率の面で収益性が高くなるだろう‥という建主の
判断があったのでしょう。ビジネスです。明快ですね。
民間の環境への貢献は、事業性と両輪をなしていなくては続きません。

かたや 新国立競技場 は公共事業です。
限られた1500億あまりの予算の多くは、税金(血税)です。
もちろん、都内に緑が多いことは、素晴らしいことだと思います。
ただ、都内に緑を増やすのであれば、都の条例等を改正して設置義務
の建物を増やせば、予算を掛けずにできることです。
スタジアムに緑がなくっても、競技はできます。五輪も開催できます。

〝いや、それでも競技場の予算で緑を植えることは必要なのです!〟
隈研吾氏には 必ず その信念があるはずです。建築家ですから。
そのメッセージ。そして、それに対する賛否に対する議論があって
初めて 選ばれるべきなんじゃないでしょうか‥?

建築学科の学生か作った課題への採点表のようなものなら、不要です。
建築を作る、ということは、建主の要求や予算と向き合うことです。
公共事業であれば、建主は、回り回って納税者となるはずです。
私も建主の一人として、現状のプレゼンでは、建築家に言うでしょう。
〝 緑はやめて、その分予算を抑えてください。 〟 と。

作品に込められたメッセージ。
まだ、いまいち伝わってない。

2015年12月24日木曜日

新国立競技場

白紙撤回となっていた 新国立競技場計画
日本スポーツ振興センター(JSC)は、今月14日に発表されたA案・B案から
隈研吾・大成建設チームのA案を採用する旨政府へ答申、了承されたとのこと。

当初、新聞紙面等に掲載されたのA案・B案のパースから受けていた私の印象は
両案とも、スタジアム建築としてのコンセプトが、表層のデザインにとどまって
しまってやしないかな、ということ。
例えば、前回の東京五輪で会場として建設された丹下健三氏の代々木体育館や
撤回されたザハ氏の計画案では、大空間の構造体をどう構成し、造形美として
昇華させるか、というダイナミックな発想が見受けられました。
予算や工期の関係で、屋根は観客席部分のみ、と設計要件が変更となったこと
の影響でしょうが、それなら 旧国立競技場の改修計画でよかったんじゃない?
‥と いまさらながらに 思えてました。

先月、将軍・徳川家のゆかりの方の講演を聞く機会がありました。
そもそも、東京(江戸)という町は、稀有なエコ志向の都市であったそうです。
衣類は裁断して、布巾・雑巾・しまいにはオシメとしてまで活用してから廃棄。
人糞まで、肥料として完全に活用しきっていたとのこと。
東京で開催する五輪のアイデンティティーや、コンパクト五輪の理念で言えば
旧国立競技場の再活用こそ、目玉になりえていたかもしれません。


隈研吾・大成建設チームの受注に関しては
A案・B案の発表の前から建築関係者の間に、いろいろ憶測が流れていました。
私自身は、無責任な発言は慎みたいと思います。
ただ今回、A案が選ばれた大きな理由が、工期と予算であったとのこと。
であるならば、ザハ氏側が、あれだけYouTubeも含めたあらゆるメディアで、
工期と予算を遵守した修正計画をやります!と言っていたですから、そのまま
責任持たせてザハ氏に任せてもよかったじゃない?これまた、いまさらですが。

選考過程が、政治的思惑のない クリア なものであったことを願います。

※画像はネット内にあり、すでに公表されているもの。ご了解のほど。

2015年12月21日月曜日

FOUJITA

FOUJITA はパリで活躍した日本人洋画家・藤田嗣治を描いています。
監督は小栗康平、藤田役はオダギリ・ジョー。静かな佳作でありました。

映画館に足を運んだきっかけは、BSNHK『英雄たちの選択』という歴史番組で、
太平洋戦時中に描かれた『アッツ島玉砕』という藤田の傑作を知ったことでした。
そこには、印象的で独特の乳白色を基調とした、藤田の作風はありません。
屍の山に銃剣で切りつける兵士達。悲惨で残忍な戦場の狂気を表現しています。
戦時中、一時帰国し、戦意高揚を目的とする戦争画の製作を軍部から依頼されて
描かれた『アッツ島玉砕』は、むしろ反戦への無言のメッセージとなっています。
戦後の状況に嫌気がさした藤田は、フランスに戻り二度と日本の地を踏みません。
最晩年、制作に取組んだ礼拝堂の壁画。キリストに祈りを捧げる人々の列の中に
自らの自画像を埋め込み、静かに世を去ります。

そんな 予習 がなければ、少し印象の違う映画であったかもしれません。
戦前の彼の制作活動。戦時中の彼の仕事。ただ、このふたつを並べただけです。
淫靡で破天荒なパリでの生活と、戦時中の日本での抑圧された思想。
ことのほか、これらを比較し、強調した表現をしているわけでもありません。
勇ましい弁舌や戦闘シーンがあるわけでもありません。

小栗康平監督の映画は 他に『泥の河』と『眠る男』を観ていますが、どちらも
静かに流れる絵画のような作品だったと覚えています。この FOUJITA も同じ。

ゆっくりと 流れるような台詞回し。
美しい日本の風景と、シンメトリーを基調とした構図の多用。
フェルメールやレンブラントを思わせるような光と闇の表現。

静かに それゆえ 力強い反戦へのメッセージです。


2015年12月20日日曜日

スクエアな構図


iPhoneの写真の設定が、知らぬ間に スクエア になってます。
思い立っては撮影してるスナップを見てみて気が付きました。
Instagramのためでしょうか、(私はアカウント持っていなので、
よくわかりませんが‥。)この構図もなかなかいいですね。
アナログ時代のファイルでは、ブローニーの6・6(6cm×6cm)
となるのでしょうが、思いのほか迫っていて、いい感じです。

自生するクヌギ林と、六本木方面から渋谷へ向かう246。
両者に脈略はないのですが、自分の生活圏内にある風景として
対称的に思えるのは、このスクエアの構図もあるのでしょうか。




2015年12月18日金曜日

萌える。昭和初期の様式建築


恵比寿駅から、246沿という建材ショールームへと向かう緩やかな坂道。
ふっと。ときめきを覚えるような、粋で重厚なRCの様式建築に出会う。
校庭から元気な子供達の遊び声も聞こえる。未だ現役の小学校のようだ。

入口近くの説明プレート(2003年に渋谷区教育委員会が製作)によると
 設計者 東京市土木局建築家
 建築年 昭和7年(1932)
 文化財指定

関東大震災の復興事業のひとつとして、耐震・耐火性の高いRC建築にて
建て替えられた校舎とのこと。
当時の様式には、インターナショナル・スタイル(国際建築様式)として
装飾性の少ない機能主義的な建築と、相対して装飾性を加味した建築とが
あるとのこと。
この小学校は 後者。
そして前者の代表には、同潤会のアパート群があったのではないでしょうか。
思いを馳せてみました。

2015年12月6日日曜日

『下町ロケット』と水木しげるさんの幸福論

日曜のTVドラマ『下町ロケット』が人気です。毎週、私も楽しみにしています。
原作は池井戸潤さんの直木賞受賞作、受賞直後にも書込みした覚えがありますが
じつは 私も東京大田区の小さな町工場の出身です。

私の親父が経営していた小さな町工場では、厚版の溶断をしていました。
22mm厚以上の鋼板を厚版といい、それを火口から出るアセチレンと酸素で切断
加工します。製品は次の工程の工場に納品され、最終製品は何かはわかりません。
ですので、ドラマの舞台・佃製作所が、エンジンを作ったり、燃料バルブの特許
を持っているとは(そんな最先端の工場もありますが)少し羨ましいところです。
親父の引退後は会社法人を引き継ぎ、建築設計事務所に看板を掛け替えちゃった
親不孝者の私ではありますが、同じく“ものつくり”に関わるものとして、ドラマ
には郷愁を禁じえないところもあります。

もうひとつ。毎週日曜日、楽しみにしているものがあります。
毎日新聞の日曜版に連載中の、医師・海原純子さんのコラム『新・心のサプリ』
本日のコラムのお題が、この『下町ロケット』でした。
「ただ生活するためだけの仕事、ただ金を得るための仕事はつまらないだろう。
 夢がなければ‥」
ドラマの中で、主人公・佃航平たちが頻繁に使う この“夢”というキーワード。 
この“夢”とは何か。
海原さんが、心理学者マズローの欲求論から、ロジカルに説明されていました。
人間はまず、生理的欲求、安全欲求、愛と所属の欲求が満たされると、つぎに
社会承認欲求を求めるようになる、というのです。
称賛されたい、社会の中で場を築きたい、お金を儲けたい‥ということですね。
多くの人たちは、その欲求で人生を終えるそうです。
ただ、中には、人に評価されたり、お金を儲けることが目的ではなく、
目的に向けた努力そのものを楽しみ、しないではいられない、という人もいる。
ごく少数の 自己実現願望を目指す人たちです。

そう。ドラマの中の敵役は前者。社会承認欲求のみで生きる、しかも成功者。
佃航平たちは後者。そして、その後者に多くの視聴者が共感しているのです。

奇しくも、先日亡くなられた漫画家・水木しげるさんの 人生哲学 です。
ネット内で拡散している、この幸福の7か条に全く同じことが語られています。
(あえて、そのまま転写させていただきます。)

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。

他者から評価されたい、お金を儲けたい‥。
人を貶めたり傷つけたりしない範疇で、そんな欲求もエネルギーになるのなら
あり だと、私は思っています。(一部 敵役の境地ですね。)
ただそれは、仕事そのものが楽しめていればこそ。です。
また、それを許される環境にあることにも、感謝しなくてはならないでしょう。

2015年12月3日木曜日

杭工事偽装問題と設計監理

横浜市のマンション『パークシティLaLa横浜』杭工事で起きたデータの偽装問題。
10月の発覚を機に他の数々の物件でも不正が明るみになり、社会問題化しています。
『LaLa横浜』での杭工事の工法は 旭化成建材製の既成杭(ダイナウイング工法)
つまり杭は工場で製作され、現場で掘削された杭坑道に設置する、という工法です。

私も30年程前の新米時代には、現場の管理者として杭工事の施工に携わりました。
当時の杭工法の殆どは現場形成杭。既成杭は摩擦杭等のレアケースだったと思います。
現場形成杭とは、現場で掘削された杭坑道内に鉄筋をカゴ状に組んだものを設置し、
坑道底まで挿入したトレミー菅から生コンクリートを打設する、という工法です。
つまり、現場でRC造の杭そのものを作ってしまう、ということ。
坑道の掘削方法によって、地表部分のみにケーシングを設置するアースドリル工法や
坑道内全てにケーシングを貫入させて掘削するベノト工法等がありますが、いずれも
ベントナイト液の水槽や重機、鉄筋カゴの作業場等、敷地内にある程度のスペースが
必要になります。(重機が比較的小さいBH工法等、例外もありますが。)

現在では、敷地の広さに制約が多い都心の小規模建物の杭工事は、支持杭であっても、
(主に鋼管の)既成杭(このダイナウイング工法のような)による工法が一般的です。

ただ、この『LaLa横浜』のように大規模な建物で、敷地に余裕がある計画であっても、
もう、既成杭の工法で施工するのかあ‥。(技術が進んだなあ。)
というのが、今回の杭工事データ偽装問題の報道での、最初の私の率直な感想でした。
現場形成杭であれば、掘削するバケット内に(ボーリング調査での)支持層の土壌を
実際に確認できるわけで、少なくとも支持層未到達という偽装はなかったろうな、と。

データ改竄の不正があったことは事実であり、施工者の責任追及は免れないにしても、
そもそも、この杭工法の選択に 問題はなかったのか。
あるいは、EPJ部分の手摺の2センチのズレ(これは現実にしても)が建物そのもの
の傾斜によるものなのか。(傾斜であるならば)それが杭工事の不備によるとする
ロジックが明確にできているのか‥。
『日経アーキテクチュア』(2015.11.25号)の特集記事『杭騒動・語られない真相』
のツッコミどころが実に興味深い。建築関係者には是非、一読をお勧めいたします。


私もこれまで、既成杭による設計とその設計監理をいくつも行ってきました。
旭化成建材製の鋼管の既成杭を採用し、設計監理もしてきましたが、私の物件では
不正や偽装はありえません。(流行語ではありませんが)安心してください。

EAZETという工法でした。施工計画書や施工報告書を紐解き、振り返ってみました。
ダイナウイング工法では、掘削し坑底(支持層)にセメントミルクを注入してから
既成杭の設置(坑道へ挿入)という工程ですが、EAZETは、スクリュー状のハネが
ついた鋼管杭を、オーガーで直接地盤に揉んでいき、溶接で鋼管の継手をしながら
ねじ込んでいくという工法です。

最初に施工する一本目の杭は 試験杭 となります。
この試験杭の施工では、監理者である私は、設置完了まで現場で立ち会います。

EAZETは工法上、支持層の土壌を実際に確認することはできません。
ボーリング地盤調査から想定された支持層まで実際に杭が到達し、しかるべく根入れ
が確保されたことは、オーガーに設置された計測機(回転トルク値)で確認しますが
(‥計測値は、その場でレシートのようにチャート出てきます。)オーガーを操作する
オペレーターには、体感から杭の支持層到達はわかります。
ですので、チャートは紛失しても支持層への到達は確認した。という、現場代理人の
言い分も、実はわからなくはありません。(もちろん、ダメではありますが。)

試験杭では、このトルク値を現場で生に確認することができます。
それ以後の杭施工は、支持層到達と根入れ確保の確認を、このチャートをFAXやmailで
当方(または構造設計者)の事務所に送ってもらうことで、設置完了を指示します。
(現場でこのチャートをすり替えるのは困難ですし、それをする動機もありません。)

では 実際
支持層が想定された深度まで杭を貫入しても、支持層が現れなかったら(‥トルク値が
上がらなかったら) どう対応するべきでしょうか‥。
支持層は、現地のボーリング地盤調査によって想定されたもの。地中では地層は畝って
存在しているのですから、その杭のポイントでは、もっと深い位置にあるという場合も
(レアケースですが)ありえないことではありません。

その場合は、支持層が現れ根入れが確保できる深度まで、かまわず杭をねじ込みます。
既成杭ですから、杭そのものを長くすることはできませんので、杭の設置位置(深度)
が深くなってしまいます。
その調整は、杭に絡む建物本体の基礎を、構造設計により大きくすることで対応します。


ただ、これは追加工事になります。
工期延長や工事金額の追加が発生することになりますが、いたしかたないところです。
建主の方には、受け入れていただくしかありません。
建主と請負者との間柄に、このフローが成り立たないようでは、不正は絶えません。

第三者としての設計監理者の必要性も、ご理解いただけますでしょうか。

2015年12月2日水曜日

建築家紹介のポータルサイト

このところ、新規の建築家紹介のポータルサイトへの登録のお誘いをよく受けます。
外資系のサイト等もあり、基本的に 無料で登録でくるところはお願いしています。
LIMIA  というポータルサイトに登録させていただきました。
(ここは外資系ではなく、GREEの関係の運営会社のようです。)

作品だけではなく アイデア というのも書いていただけませんか。と
電話で熱心にお願いされて それなりに作ってみました。
せっかく作ったので、このBLOGにもUPします。 以下。



『共同住宅』計画不可の敷地での『集合住宅』


いはゆるマンション等は、主要用途が『共同住宅』となります。
『共同住宅』は建築基準法上『特殊建築物』として扱われ、数々の法的制約(例えば、耐火建築物であることを要求される等)を受けることになります。条例によっては、計画そのものが制約されることもあります。その場合は、主要用途が『共同住宅』ではなく『長屋』となる集合住宅で計画する方法があります。
『長屋』とは、『共同住宅』にある共用廊下や共用階段をもたない集合住宅のことです。
『長屋』であれば『特殊建築物』となりません。通常の戸建て住宅の場合と同等の法的制約で計画することが可能です。



東京都内、超・変型地の老朽化した木造アパートの建替計画。
敷地形状が路地状であることから、東京都安全条例の規定により『共同住宅』の計画は不可。
金融機関からの融資条件は、鉄筋コンクリート造で建替前と同じ8住居の実現。
建築基準法上の主要用途を『共同住宅』ではなく、共用部分を持たない『長屋』とすることで、8住居からなる都市型集合住宅を実現することができました。


共用廊下や共用階段をもたないため、各住戸のアクセスは全て敷地内外部通路に面します。

迷宮のように入り組んだ動線は、各住居に個性という付加価値を与えます。

2015年11月29日日曜日

トレッキング

先週、登山家の田部井淳子さん が 楽しげに登ってるのをTVで見付け、
私も久しぶりに歩いてみることにしました。日和田山(埼玉県・日高市)
Blogでも、数年前に登場したかもしれませんが、以来 気に入ってます。

2015年11月20日金曜日

芝・増上寺の思い出


このBlogを休みしていた間、私的には大きなイベントがありました。
今月8日。母校(都内の中学・高校一貫の男子校)の同窓会大会です。
実行委員のひとりとして、時期や会場の決定、コンテンツの企画まで
1年半以上もかけて準備をしてきた催しでした。

同窓会 とは いわば 過去を振り返って懐かしむだけじゃない。と
委員会に誘われた当初は、正直、あんまり乗り気じゃなかったところ、
あにはからんや、旧知の友人たちとの企画活動は、じつに面白いこと。
思わぬ再会や出会いも相まって、仕事以外で夢中になれた時間でした。


会場のひとつは、母校ゆかりの芝・増上寺。
馴染みの地でありますが、それ以上に、忘れていたことがありました。
!そう。 大学の建築学科 卒業製作で 私が選んだ計画地。
当時製作した作品の資料を探してみました。

卒業製作の課題は自由設定。どんな建物を、どこに設計しても O.K.
私の構想は、この馴染みの増上寺境内に
安芸の厳島神社からヒントを得て、人口湖に浮かぶ屋外劇場を中心に
能楽堂・音楽ホール・美術館の複合施設を計画することでした。
浄土宗の『浄土』は『極楽浄土』の『浄土』。つまり あの世 です。
あの世 の風景を作ってみたかったのでしょう。そこに

『天・地・人』
‥完全な左右対称のシンメトリーを指向する西洋的な発想に対し
 そこに、くずし を加えることで生まれる“妙”への美意識

『真・行・草』
‥フォーマル~カジュアルへと 3層構造として意識される空間

といった、日本独自の感性を加味しようとしました。

大学時代は 終始最悪の学業成績をたたき出していましたが
この卒業製作作品だけは 優秀作品のひとつに選ばれました。

今にしてみれば じつに 拙い計画です。
ただ、過去を振り返って懐かしむのも たまには わるくないな。


2015年11月19日木曜日

復活。ゴーギャンや光琳のように?

お休みしていた、このBlog。2ヶ月ぶりに再開いたします。

じつは Last Up の直後の一時期。高熱が出て体調を崩してました。
公私共、知らず知らずイレ込んでしまっていて、疲労が噴出したようです。
そのひとつは、MailやSNSのやり取りから来る いわば ネットの疲れ。
今の時代を生きているからには、ある程度 いた仕方ないのでしょうが
一旦 Blog だけはお休みさせていただきました。

その間
同世代の知人・友人の大病なども知り、健康のありがたさを実感。
何事も マイペース を心がけましょう。

唐突ですが
復活。ということで
昨晩のTV番組。それぞれBS・地上波と、別の2番組で紹介されていた
二人の画家 ポール・ゴーギャン と 尾形光琳 の生き様が面白い。
あまりにも 二人の人生がシンクロしています。
( 光琳 はこの5月の展覧会から、マイブーム なのです。)

恵まれた幼少期、散財の果ての破綻、遅きにして30代の画業で 復活。
洋の東西の他は、二人の生き様の共通点に じつに 妙 を感じます。
独自の画風の確立、奔放な女性関係、50代での死‥。
最後のところだけは 見習いたくないもんだ。

これからは、進行中のProjectのことなどもUPしていきますので。
今後とも、よしなに お願いいたします。

2015年9月9日水曜日

住む=スペシャルな家/銀座=スペシャルな街

AtoA(上野タケシ氏、来馬輝順氏、山本覚氏)により選ばれた4人の建築家展。
不定期に開催されるこの展示会は、毎回決められたテーマにそった、各建築家に
よる住宅作品が展示紹介されます。私も6年程前、出展した縁から今回も会場の
『タチカワ銀座スペース・オッテ』に向かいました。雨中の夕方でした。

今回は 住む=スペシャルな家 ということ。
4人の建築家の方々(どなたも面識はないのですが。)の4っつの住宅作品。
建主のこだわりが何気なく計画され、奇をてらうことなくキラリと光ってます。
住宅建築そのものの紹介におわらず、実現に至るまでの創作の過程も興味深い。
会期もまだありますので、銀座におこしのさいは、是非に。

会場がはけてのち。
AtoAの上野さん先導にて、銀座7~6丁目のビルの狭間を ぶらタモリ。
ネオン街の華やかな装いの裏側に広がるダークな情景は、廃墟的近未来感満載。
攻殻機動隊かブレードランナーを思わせる 深淵な世界観。

その後は 銀座ライオン にて一献
映画の話題に盛り上がったのは、この情景の残像があったからかもしれません。




2015年8月26日水曜日

オスカー・ニーマイヤー


東京現代美術館で開催中の展覧会に足をのばしてみました。
1907年リオ出身という氏は、まさに20世紀を代表する建築家のひとり。
ブラジル国内にある作品群の多さと、その多くの大きさに圧倒されます。

中でも 50年代に いちから建設されたという首都ブラジリアの都市。
その公共建築物の全てを 氏が設計しています。
女性の身体にもなぞらえられる有機的な曲線を多用したダイナミックな
造形が印象的です。ただ、無駄を感じさせない説得力のあるカタチだ。
それは
会場内で上映されている昔のTVニュース風の『ドキュメンタリー映像』 
氏が語っていた‥
〝 建築の美しさは構造そのものの美しさでなくては ならない‥ 〟
といった、日本古来の建築美にも通じるような主張から納得できます。

先日
目黒美術館でその作品群を目の当たりにした 村野藤吾と 被ります。
同世代にして 90歳を超え、100歳を超え なお現役建築家であった
おふたり。戦火もふくめ、動乱の時をのりこえてきてもおられる。
建築家 おふたりに 敬意です。


さて この展示会場。
最後のイビラブエラ公園は圧巻でありましたが、ビデオ映像の音響が
やかましくって気が散るし、内容も散漫になっていたと思えました。
ブラジリアの建築群に、展示を絞ったほうがよかったんじゃないかな。
会場構成のSANAAさんには、僭越で失礼ながら。



2015年8月24日月曜日

秋近し

実るほど こうべを垂れる稲穂かな

日捲りの暦にありがちな金言ですが
頭の中で呪文のように唱えています

謙虚に秋近し


2015年8月19日水曜日

明日に架ける橋

数年前に架け替え工事がなされた大師橋は
多摩川に架かる橋の中で、最も下流にある。
徒歩で渡ったのは、はじめて。
ダイナミックな様相に 思わずシャッター。



2015年8月16日日曜日

処女作

設計事務所として独立して、はじめての作品。
東急線の とある駅近くの並木通りに面した分譲型集合住宅です。
他の計画地確認のため、近くを通ったさいに立ち寄ってみました。

20数年ぶりの再会です。
設計のみ(監理なし)の仕事でしたので、ディテールや仕上材に、
納得できていない建物ですが、そんなことより元気でいてくれて、
まあよかった、よかった。

小規模な分譲式ということもあるのでしょうか、メンテナンスが
疎かのようです。私の企画でクリーニング工事をしてあげたいな。


2015年8月14日金曜日

和菓子と展望デッキ

ことあるごと 洒落た洋菓子の頂き物を頂戴しておりました。
こんどはこちらから、と 老舗の菓子店など検索してみますに
そうだ、羽田空港の出発ロビーだ。事務所からも近いじゃない。

打ち合わせより、かなり早めに出て、展望デッキで旅行気分。
子供の頃の夏休み。冒険心と見上げた機からの爆音が思い出。

美味しそうな和菓子の詰合せは、思い通り。


2015年8月13日木曜日

日本のいちばん長い日・終戦のエンペラー

戦後70年の節目。終戦の日も近い。
細切れで取っている夏季休暇。ロードショウや録りためたBSの放送など
ここのところ、先の戦争を題材にした映画を、たて続けに観ています。
その中。気になった2作品です。

『日本のいちばん長い日』 監督:原田眞人
主にお年を召した方々ではありましたが、ロードショウは満席でした。
原田眞人監督は、やはり30年の節目となった日航機墜落事故を題材とした
『クライマーズ・ハイ』がじつに秀作であり、チェックしてた監督さんです。
『クライマーズ~』は、とある地方新聞社の組織の中で記事発信に奮闘する
記者が主人公。大勢の登場人物の立ち位置やキャラ、主張を丹念に表現する
演出は、この『日本のいちばん長い日』でも同様に、じつに巧みでした。
『日本の~』では、主に当時の陸軍大臣・阿南(役所広司)の視点です。
戦争遂行強硬派のイメージが強い阿南大臣ですが、決起を目論む若手将校達
を抑えこむのに苦心する、家族想いの優しい父親として描かれています。
血気多感な若手将校達もしかり。現代にも通じる、ごく普通の人々です。
戦争の狂気、不条理。

『終戦のエンペラー(原題:Emperor)』 監督:ピーター・ウェーバー
iTunesの100円レンタル・オススメ映画だったので、DLして観てみました。
終戦直後、マッカーサー元帥率いるGHQが日本を統治。
天皇の戦争責任の是非を10日間でレポートするよう指令を受けた准将は
かつて、日本人女性と激しい恋に落ちていた。彼女も探す主人公の准将‥。
マッカーサーやGHQという組織内の、野心や思惑もチクリと描かれていて
重厚感がある。〝彼女〟を演じた初音映莉子は、けなげで芯の強い昭和の
女性を熱演。ただ、名優トミー・リー・ジョーンズが、マッカーサー元帥
ではなく、缶コーヒーを飲んでいる宇宙人に見えてしまうのだけが残念‥。


日本人の視点で描かれた終戦前夜の日本
米国人の視点で描かれた終戦直後の日本
じつは、この2作品。
制作者同士が申し合わせたかのごとく 内容が見事にシンクロしています。
硫黄島の戦いを 日米双方の視点で描いた クリント・イーストウッドの
作品のようにです。(ここではネタバレにもなるので、どうぞ、ご覧を。)

終戦に想いを馳せました。


2015年8月6日木曜日

建築模型の存在感・村野藤吾の建築展

木陰がありがたい目黒川沿い。
目黒区美術館での展覧会『村野藤吾の建築』 圧倒されました。
撮影が許された1階のギャラリーの 日生劇場
現・目黒区役所(旧・千代田生命) 読売会館など代表作から
2階展示室に至るおびただしい数の建築模型による作品の表現。
建築作品としても、建築模型の表現としても、プロポーション
とディテールの美しさを堪能できます。

村野建築は、機能美を追求した純粋なモダニズムというよりは 
緩やかな曲線を随所に用いたファザードやシンボリックな造型
が印象的。それが単に表層のデコレーションで終わることなく、
どこか上品な雰囲気を醸し出しているところ。

夜の歓楽街の建物から、教会建築まで。レパートリーも幅広い。
とくに、敷地の高低差があるなど、厳しい条件での作品の方が
造型に説得力があるように思えます。
ただ、主に戦前の作品だとゆう住宅作品群には、あまりピンと
くるものがなかった。
大規模な建築作品にこそ生きる プロポーションとディテール
なのかな。それで、建築模型の表現が映えているのか。



2015年8月4日火曜日

集合住宅計画・模型製作中


都内 土地を有効活用した集合住宅の計画案。
全ての住居に ロフトまたは床下収納を設けた計画です。
限られた平面的な面積より、許容された建築高さを有効に活用します。
相談者の方への、プレゼン模型作成中。
協力は 当方物件のテナントでもある
みなさま よしなに。



批判と批評とネット社会

昨晩はTVを観ていると、『しくじり先生』というバラエティーで紀里谷和明氏。
NHK『プロフェッショナル』には細田守氏と、ふたりの映画監督が語っていた。
じつに腰の低い細田氏と、いささか攻撃的な紀里谷氏。
同じ映画監督という職業にして対照的なおふたりのキャラが、印象に残った。

紀里谷氏は、自身の作品を酷評した映画評論家への〝恨み節〟全開。
作者の見えざる苦労や努力へのリスペクトもなく、個人の嗜好による作品批判
に怒りを覚える事。ものづくりに携わる者として、わからないじゃない。
つくるって、たいへんですから。私も意見が、おざなりの批判にならないよう、
作者へのリスペクトを持った批評を筆にするよう、心がけています。
(ちなにみ、私個人としては氏の作品 CASSHERN も GOEMON も好印象。
 前衛的。とくに GOEMON は設定がじつにユニーク。おすすめ。)

巷にあふれる批判や意見。
個人が意見を自由に発信できるネット社会では、功罪ともにありましょう。
2020東京五輪のことでは、新国立競技場の問題、エンブレムのパクリ疑惑と
ネット上にはコメントがあふれています。
私も生意気なコメントをいくつかUPしてますが、他の方に左右されないよう、
UPするまでは、個人のコメントにあまり触れなようにしていました。
久しぶりにサーフィンしてみると、私のものの一部とよく似たコメント発見。
私の方が後日のようです。これもパクリ疑惑といわれちゃうのでしょうか‥。
それほどの影響力はない(エラくない)自分で、よかったのかもしれない。


このコメントには ハナ がないので、まさに花のphotoをUPします。
3たびの ひまわり。
5年後の東京五輪の開催時期が、まさにこの酷暑の時期である事。
これにも 批判 があるようです。
エンブレムのデザインは、この向日葵の花に日の丸をあしらったデザインは
どうでしょうね。( このアイディアは パクリ・フリー )


2015年8月3日月曜日

セット・アップ

事務所内の断捨離的整理整頓もひと段落。
ようやく空いたスペースに、5KのiMacを設置。
量販店で、そのディスプレイの美しさにヒトメボレして購入しちゃった機種だ。
メインアプリのVector Works(CAD)も、いよいよヴァージョンアップへ。
Ver.UPに追いつけないOSの方のiMacは、旧ヴァージョンのまま自宅で使おう。
ということで、事務所内にて最後の集合写真。
Appleのお店みたいだな。

クラウドのおかげで、自宅でも創作作業に支障はない。
環境が変わり、気持ちもリ・セット。設備投資したぶん、仕事に精進しよう。


2015年7月25日土曜日

新国立競技場と欧州での公共建築のこと。

新国立競技場の計画案の見直し問題。
TVやネットでのいろんな意見に頷いたり、小首を傾げたりしていますが、
ただ、盛大な国際コンペで選ばれた計画案が、結果的に実現できなかった
という〝メカニズム〟だけは、つまびらかにされるべきでしょう。

公共工事の公開コンペ。ということで思い出したことがありました。
オランダの ロッテルダム という街を訪れたときのことです。
1988年。いまから27年もむかしのこと。
私は、リュックを背負って欧州を気ままに一人旅していました。
ロッテルダムという街は、第二次世界大戦でそれ以前の建物のほとんどが
焼失してしまい、新しく創り上げられつつある都市の建築はみな近代的で、
いはば現代建築の見本市のような街でした。

とある大きな公園の敷地内にある美術館にはいると、ある展示室の壁一面
大きな建築模型3点と、その図面が展示されています。
同じ敷地内に建設される 新しい図書館の計画案3点 ということでした。
(そのうち1点は、建築家レム・クールハス氏の作品だったと思います。)
どうですか? 一票。
プレゼンを真剣に眺めていると、美術館の担当者から声をかけられました。
投票できるようなのです。(部外者のワタシでも。)しからば清き一票を。
この票。計画案の決定にどのような影響があるのか、あるいは予想票なのか。
言葉が未熟な私にはよく分かりませんでした。建築の外見の人気投票だけで、
大切な公共物の建築を決めてしまうのでは、いささか乱暴な話でしょうが、
建築決定に、なんらかの形で市民が参加している光景は、微笑ましく思えた
ことを覚えています。


この欧州の旅の目的のひとつは
建築家ル・コルビジェの建築を、生で見てみることでした。
代表作ロンシャンの教会にたどり着いたのは、ちょうど27年前の今日です。
存在感のある外観。朝日を背に差し込むマリア像のある内部空間に感動し、
一日を過ごした夕方、郵便局から東京の友人夫婦に国際電話をかけました。
この日、電話する約束になっていたのです。
はたして 聞こえてきたのは Happy Birthday! の輪唱です。
最高に嬉しい誕生日プレゼントでした。
あれから人生折り返してしまったわけで、光陰矢の如し。ということです。


2015年7月19日日曜日

新しい五輪理念を示す機会になる『新国立競技場』

首相が『新国立競技場』建設計画の、中止を含む見直しを発表したのは
安全保障関連法案が衆議院特別委員会で強行採決された、その日でした。
そして翌日の本会議可決の日に、安藤氏の記者会見が段取り良くセット。
先週は、政治の世界の姑息でヤラシい部分を見せつけられた気分でした。

もはや『新国立競技場』は社会問題。建築界での域を逸脱しています。
私もこれまで、生意気な意見をUPしてきましたが、それでもどこか腑に
落ちない気持ちをずっと抱えてきたところ、先週末の東京MXの番組での
東国原氏の意見に あっ。と膝を叩きました。

五輪=開発。
開発とは、ハコ物やインフラの公共工事。
その公共工事による 経済効果 の期待。
そもそも、それってどうよ‥。というのが、氏の意見だったと思います。

五輪=開発。
そんな図式が、高度成長期を謳歌してこられたであろう政治家のお歴々
ばかりでなく、私たちみんなの頭の中、どこかにあったはずです。
この『新国立競技場』問題は、そんなコンセンサスに疑問符が付けられ
た結末。とも、いえましょう。

50数年前に行われた東京五輪では、インフラ整備の公共工事のひとつに
首都高速道路がありました。この首都高速は、東京五輪の後も経済効果
を齎してきたのでしょうが、その反面、水の都であった江戸東京の運河
を暗渠に変え、日本橋界隈をはじめ、都市の景観を破壊してきました。
そしていま、この首都高速道路は、メンテナンスの問題を孕んでいます。
まさに、今回の『新国立競技場』の問題を連想してしまうところです。

あれから、日本の社会も成熟してきたはずです。
ハコ物公共工事による景気操作など、もう、そうゆう時代じゃない。
道路や建物を、国威高揚の象徴とする必要も、すでにないでしょう。

ましてや 今回の東京五輪の理念はなんだったのか?
『お・も・て・な・し』のプレゼンテーションで語られたコンセプトは
『コンパクト五輪』 ということだったはずです。

ザハ・ハディッド氏の案が選ばれた国際コンペチション。
〝後出しじゃんけん〟のように見えた現存国立競技場の改修計画案に、
それでも共感を覚えたのは、この『コンパクト五輪』という理念を象徴
できた存在であったからだと、いまになって理解しています。

これから
新・新国立競技場計画への、ロードマップが示されていくのでしょうが、
その前にまず、この東京五輪の理念を見つめ直してみましょう。

既存の概念に囚われない
これまで、どこの都市でもなしえていない、新しい五輪になってほしい。

夏景色


向日葵 は 前回とかぶってしまいました。
夏。これほど存在感のある 花 はないな。



2015年7月12日日曜日

夏だぁ。

今年はじめての 向日葵。
寒い梅雨空からの 一転。
ただ体がついていけない。
だから、夏だ! ではなく 夏だぁ。


2015年7月9日木曜日

雨の日の『雨音がブルース』

学校の後輩・小林由木くんの演劇ユニット エヴァによる夏公演
『雨音がブルース』 中野ポケットにて 感激の観劇であった。
横溝正史や 江戸川乱歩や コナン・ドイル だけじゃない。
欽ドンや、相田みつを。もしかして攻殻機動隊や村上春樹まで 
これでもか、の パロディ満載!
ドタバタ喜劇かと思いきや、それでいて、心に響くメッセージ
のこもった台詞が散りばめられていて纏まっている。よかった。
脚本の小林くん、本気で直木賞 ねらってみよう。
本日以降も公演があるようですので、皆様どうぞ。

昨日は 雨の日の 外回り。
午前中は芝公園界隈で打ち合わせ。
午後は上野合羽橋で打合せと現場調査、近くの江東区役所にて
条例・規制の確認。
この合羽橋界隈。じつは、はじめて訪れたのですが
日本最大の調理器具の商店街だそうで、じつにアニューズメント。
3Dだまし絵の建物や、カッパ様の銅像やら、ちょうど七夕祭り
ということで、大小さまざまな七夕飾りや提灯が、あいにくの
天気にもかかわらず、なにか賑やかな気運をつくっている。
以前 タモリさんのTV番組で観たことのある
東京メトロの地下鉄車両の地上出入り口 というのも偶然発見。

その後、新宿の東京建築士事務所協会へ、年次報告書を提出。
夕方は友人と前記中野ポケットで観劇。その後、中野レンガ坂
の洒落たバルで一杯。

雨の中。 iPhoneの歩数計は ゆうに2万歩を超えていた。


2015年7月5日日曜日

バランスボールと断捨離

先月このblogで誓った 健康増進と事務所の断捨離を敢行中です。

まずは、TVで紹介された、ある成長企業のオフィスを参考にして
ネットでバランスボールを買ってみる。女性社員がこれに座って、
仕事していたのだ。試してみると、こりゃあ なかなかいい。
背筋が伸びて肩こりの解消になればよいが、すこし失敗したのは
タッパが低く足も短い自分を考慮して、小さめのサイズ(55cm)
のボールにしてしまったこと。65cmのサイズにしときたかった。

断捨離のほうは シリアス。
はじめてしまったからには、止まらない。
この機に、独立開業以来20数年間のアカを吐き出す覚悟になる。
処分するのは、ほどんどが書籍・雑誌類。
昔、取材を受けた情報誌や住宅関係雑誌や、その校正のやり取り。
全く身に覚えがない記事まである。以前居てくれた女性スタッフ
と談笑するスナップ記事に、懐かしさがこみ上げてくる。
もっとも大量にあるのが 建築専門誌『日経アーキテクチャー』
独立以来、欠かさず購読しストックしていましたが、ここ数年分
を残して整理せざろうえなくなりました。
(日経BP社のみなさん。申し訳ない。)
隔週発行の各号を、表紙の写真と日付を見ながら束ねていくと‥
‥この時期。辛い仕事があったなあ。楽しい仕事もあったな。
‥この時期。こんな建築が話題になっていたなあ‥ 。
感傷とともに、祈りのような、未来へ向かうための修行のような、
神妙な気持ちにおちていきます。

ちなみに 断捨離:断つ・捨てる・離れる とは
仏教用語というよりは、こちらの方の登録商標ということで、
そこはひとつ この場に おことわりを申し上げておきます。


2015年6月28日日曜日

純・和風建築は粋なモダニズム。遠山邸

日興證券の創設者・遠山元一邸宅、登録有形文化財に指定された和風建築。
都会の喧騒からはほど遠い埼玉県比企郡の田園地帯に、氏のコレクション
が収蔵された美術館とともに、遠山記念館として公開されています。

母、美以のための邸宅は、2年7ヶ月の歳月をかけ、昭和11年4月竣工。
建築家は室岡惣七。大工棟梁は中村清次郎、と記してありました。

未公開の二階に洋間も存在するようですが、純粋な和風建築といっていい。
西棟_中棟_東棟 と 三つの棟はそれぞれ、
数寄屋造_書院造_囲炉裏や茅葺屋根の小屋裏を表しにした田舎風‥ と、
バリエーションをもたせた構成となっている。ただ、そればかりじゃない。
壁仕上、畳、欄間装飾、廻縁竿縁を含む天井貼‥ 全ての部屋で違う仕様。
外観からも、手摺の形状や欄間。屋根も、茅葺の屋根と日本瓦の屋根には
ソリとムクリが混在する。いはば、建築のジャム・セッションの様相です。
施工に携わった職人たちの間には、技の競い合いもあったかもしれません。

和の空間を作り出すためには、各寸法にキメごとが存在します。たとえば、
平面が尺・寸のモジュールであることはもちろん。鴨居の高さ=五尺八寸。
長押の見附=柱の幅で、交点は長押が勝つ。
鴨居や無眼の見附=柱の幅×1/3~1/2で、交点は柱が勝つ。
キメごとが忠実に守られていることで緊張感を保ちつつも、奔放な自由さ
で統一感を失わない。むしろ、上品な躍動感を感じる空間。

そして、大切にケアされ、長く存在することによって生まれる価値がある。
住宅建築が、商品として存在している今日でも、忘れないでいたいですね。