首相が『新国立競技場』建設計画の、中止を含む見直しを発表したのは
安全保障関連法案が衆議院特別委員会で強行採決された、その日でした。
そして翌日の本会議可決の日に、安藤氏の記者会見が段取り良くセット。
先週は、政治の世界の姑息でヤラシい部分を見せつけられた気分でした。
もはや『新国立競技場』は社会問題。建築界での域を逸脱しています。
私もこれまで、生意気な意見をUPしてきましたが、それでもどこか腑に
落ちない気持ちをずっと抱えてきたところ、先週末の東京MXの番組での
東国原氏の意見に あっ。と膝を叩きました。
五輪=開発。
開発とは、ハコ物やインフラの公共工事。
その公共工事による 経済効果 の期待。
そもそも、それってどうよ‥。というのが、氏の意見だったと思います。
五輪=開発。
そんな図式が、高度成長期を謳歌してこられたであろう政治家のお歴々
ばかりでなく、私たちみんなの頭の中、どこかにあったはずです。
この『新国立競技場』問題は、そんなコンセンサスに疑問符が付けられ
た結末。とも、いえましょう。
50数年前に行われた東京五輪では、インフラ整備の公共工事のひとつに
首都高速道路がありました。この首都高速は、東京五輪の後も経済効果
を齎してきたのでしょうが、その反面、水の都であった江戸東京の運河
を暗渠に変え、日本橋界隈をはじめ、都市の景観を破壊してきました。
そしていま、この首都高速道路は、メンテナンスの問題を孕んでいます。
まさに、今回の『新国立競技場』の問題を連想してしまうところです。
あれから、日本の社会も成熟してきたはずです。
ハコ物公共工事による景気操作など、もう、そうゆう時代じゃない。
道路や建物を、国威高揚の象徴とする必要も、すでにないでしょう。
ましてや 今回の東京五輪の理念はなんだったのか?
『お・も・て・な・し』のプレゼンテーションで語られたコンセプトは
『コンパクト五輪』 ということだったはずです。
ザハ・ハディッド氏の案が選ばれた国際コンペチション。
〝後出しじゃんけん〟のように見えた現存国立競技場の改修計画案に、
それでも共感を覚えたのは、この『コンパクト五輪』という理念を象徴
できた存在であったからだと、いまになって理解しています。
これから
新・新国立競技場計画への、ロードマップが示されていくのでしょうが、
その前にまず、この東京五輪の理念を見つめ直してみましょう。
既存の概念に囚われない
これまで、どこの都市でもなしえていない、新しい五輪になってほしい。