2019年11月29日金曜日

大嘗宮(だいじょうきゅう)見学


大嘗祭の中心的な儀式『大嘗宮の儀』のために造営された 大嘗宮
時間の空いたこの午前は晴天とあって、解体前の一般公開の見学へ。 

大嘗宮 一見してシンプルな造り。
恒久的に存在することは想定しない、仮説建築物なディテールです。
かえって 儀式の崇高さが際立ったであろうことが想像できました。

写真
奥の棟が 悠紀殿(ゆきでん)。右手前の棟が 主基殿(すきでん)。
それぞれ、天皇陛下が神饌(新穀を持って調製された御食、御酒など)をお供えになり
御拝礼の上、御告文をお奏しになり、自らもお召しあがりになった建物 ※パンフより

背後からの写真は
右手に主基殿。左手は 廻立殿(かいりゅうでん)
大嘗宮の儀に先立ち天皇皇后両陛下がお召替えなどをなさった建物と。 ※パンフより

大嘗宮の設営費は 報道では19億700万円とあります。
そんなに掛かるのか、と思える簡素な造りですが、特別な工法や材料のためでしょう。
解体はやむなしも、材料リサイクルのお手本を見せてもらいたいですね。



2019年11月28日木曜日

深読み・井上陽水


45年来の陽水ファンとしては いささか聞きづてならないTV番組を観てしまう。
昨晩のBSプレミアム 『深読み井上陽水~Love Songs』
高橋源一郎さんたち識者が 特定の文学作品をナナメ目線で解読するシリーズは
私も時々楽しんでますが、昨晩の内容。なるほど‥ と思いつつも、私も一言。

『なぜか上海』
おにいさんたち おねえさんたち は ‥は死者である。
つまり 上海 は黄泉の国のようなイメージなのでしょう 源一郎さんには。
なるほど‥と思いつつも 単にゴロがいいから『シャンハイ』だと思いますよ。

『リバーサイドホテル』
若いふたりは せまいシートに隠れて 心中に向かっている‥ というのですか?
リバーサイドのリバーは 三途の川 ってことですよね。安藤裕子さん。いや‥
一瞬、納得しつつも『どうせ ふたりは 途中でやめる』って歌ってるんですぜ。
この 冷めてシュールな目線が 陽水さんでしょう。

『ワカンナイ』
宮沢賢治『雨にも負けず‥』の詩 の完全な おちょくりソング。
源一郎さんには 『雨にも負けず‥』に感動しているはずだ、と言われますが
聖人のような宮沢賢治を ワカンナイ。つまんない。と一刀両断してるところが
爽快で気持ちいいんじゃないでしょうか。 ね。

ちなみに 私のフェイバリット陽水ソング集は こういった曲かな。
 傘がない
 能古島の片想い
 帰れない二人
 桜三月散歩道
 御免
 夏の終わりのハーモニー
 サナカンダ
 決められたリズム
 ビルの最上階
 長い坂の絵のフレーム
いかがでしょうか。


2019年11月27日水曜日

小雨の中のコンクリート打設


現在工事進行中 新築集合住宅計画 SK2-Project
寒々しい小雨の中 ようやく3階部分のコンクリート打設完了です。
本来今月中の上棟(4階部分打設)予定でしたので、約3週間遅れ。
それでも、なんとかスケジュールは守れそうです。

コンクリートの硬化は、水とケイ酸カルシュームの化学反応によります。
硬化に必要なかった水分は打設後、生コン表面に浮き上がってきます。
(この現象をブリージングといいます。)
真夏の炎天下などでの打設は、逆に本来生コンの硬化に必要な水分まで
蒸発してしまいますので、打設後の散水養生は欠かせなくなります。
雨の程度にもよりますが、小雨程度なら、打設にはむしろ好都合です。

3階部分は北側斜線制限(高度斜線制限)による斜め壁と吹抜・ロフト
が絡み、複雑な形状となっています。打継ぎラインの設定も難しかった
のですが、私自ら描いた施工図を現場はそのまま踏襲してくれました。
まずは 作業 ご苦労さま。

仮称となっていました SK2-Project
正式名称は hikarium (ヒカリウム) と決まりました。

2019年11月9日土曜日

ベルリンの壁開放 30年


ベルリンの壁開放の1年前1988年6月29日。昔の写真を懐かしむ。

西ベルリンの 戦勝記念塔 よりのぞむ ブランデンブルク門
当時の日記から、当日は大雨であったようです。

当時の東側の人たちは、自分の意見を自由に表現することはできない。
みな暗い表情をしていたことを思い出します。
表現の自由をかさにきてやってくるプロパガンダも、薄気味悪いけど
自らの意思を自由に表現できるということが、いかに豊で尊いことか‥。

西側のベルリンの壁は、カラフルに表現されたウォール・ペイント。
あいちトリエンナーレ『表現の不自由展』をシャットアウトしていた
大きな鉄扉を連想しました。




2019年11月2日土曜日

那覇_札幌_東京


那覇
首里城が、大きな炎に包まれ崩れてゆく映像は あまりに悲しい。
沖縄を訪れたことは一度あります。1986年の2月頃だったと覚えています。
レンタカーでひとり、本島をほぼ一周しました。
那覇では、国際通りのフェスティバル(安藤忠雄氏)が印象に残った建物で、
首里城は、いまだ復元されていなかったのでしょう。記憶にありません。
いちど 訪れてみたかった。 一日も早い再建を願います。

札幌
2020東京五輪のマラソンと競歩の会場が札幌となることが決まりました。
北海道も何度か車で旅をしましたが、印象に残った建築はやはり安藤氏の
トマムの 水の教会 だったでしょうか。

東京
IOCによる競技会場の強引な変更というのは、単に『マラソン』と『競歩』
の問題だけではありません。そもそも、最も運動には危険な酷暑の時期に
五輪を持ってきちゃったという矛盾が、ホコロビとなって出てきたこと。

1964年。初めて東京で五輪が開催された日本は、いはゆる高度成長期。
五輪開催 → ハコモノ公共工事 → 経済成長 という当時の価値観や
成功体験を、いまだ忘れられないでいるお歴々が多い過ぎるのではないか。
ただ 1964年当時のレガシー建築。丹下健三氏の 国立代々木競技場
少なくとも これは評価したいな。