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2021年4月7日水曜日

【小説】孤独の住宅建築家_04 CADとシャープペンシル:編

 


□まえがき□

 <プロフィール欄>

  栂池京信:アトリエ・ツガイケ一級建築士事務所 主宰

  都内を中心に個人住宅や集合住宅の設計監理をおこなう。

  男性/43歳/独身(離婚歴?)その他プライベートは不明。

  ※もちろん、架空の人物である。

  その他、登場する人物、計画、建築、組織、全て架空のものである。


これまでのお話し
孤独の住宅建築家_01 マッチングサイト:編
孤独の住宅建築家_02 ふたつのテナント:編
孤独の住宅建築家_03 建築現場の青春:編

□1□


大田区蒲田の準工業地域。築40年は経つであろう、古びた鉄骨造3階建。

最近まで自動車修理工場が稼働していた1階は、今は静まりかえっている。

車体のリフト・アップのため、トラス天井まで高さ3mはあろうかという

大空間にある10坪程のプレハブ事務所内。今日は2回目の打合せである。


「え! 栂池さん、こうなるんですか‥!?。」


提示した計画案の概略を見るなり怪訝な顔をしたのは、この建替え計画の

依頼主である北方祐介さん。上着は工場の作業着でいて、物静かな佇まい。

私より、ひと回りは年上であろうか。


父親と経営していた自動車修理工場を閉めることになり、建物を建替える

ことにしたのだ。穏やかに老後を過ごすご両親のお部屋と、賃貸集合住宅。

総事業費の殆どは賃料収入による返済となる。当然のことながら60坪程の

この敷地を、可能な限り活用した計画にしなくてはならない。


「ええ、こうなるんです。これが、最も効率的なプランニングです。」


「普通 マンションの計画っていうと‥

 長-い廊下があって、それに沿って部屋が並んで、端っこに階段付いて‥

 みんな、そうなるんじゃないんですか? 

 建替え工事のため、住んでた方にはやむ無く出て行ってもらいましたが、

 この建物の2階、3階も、そういう形のアパートになっていますが‥。」


「くれぐれも、誤解しないでくださいね。

 なにも奇抜なデザインの建築にしょう、というんじゃないんです。

 既成概念にとらわれず、賃貸部分の床面積を最大限確保した計画です。」


私が提案したのは、共用広場を取り囲むコの字型のプラン。

2階以上の各部屋には、共用広場の両脇にある階段からアクセスする。


「『長-い廊下』のように、無駄な空間をできるだけつくらないことで

 開放的な共用広場ができました。他の物件にない付加価値になります。」

「他と違う? それじゃあ‥」


( それじゃあ… いや、そうしなければ、

  ただ家賃の安さだけが魅力。それ以外は他と同じような間取り。

  そんな賃貸集合住宅になって、ゆくゆくは廃れていくだけだ‥。 )


重苦しい空気が、私と北方さんとの間に流れてきた。


「ま、一度この計画案で概算工事費と、賃料の査定をしてもらいますよ。

 それを元に、収支事業計画書を作りましょう。銀行さん用の資料です。

 それをご覧になれば、この計画の好利回りがご理解いただけますよ。」

「はぁ‥。」


次は私の事務所で打合せることを約束して、北方さんの事務所を後にした。

これまで堅実に生きてきただけに、理解には時間がかかるかもしれないな。




□2□


「RE:概算見積 あがり。」

北方共同住宅計画の概算見積を依頼した、麻倉工務店・麻倉薫社長より

返信があったのは、北方さんとの打ち合わせから3日後の朝一であった。


「黄昏時までに カラオケスナック「幸」へ来れり。他に相談事あり。」

‥なんだこの文面は。 果たし状 か?

卒業式当日、体育館裏にワルの卒業生に呼び出された担任教師のようだ。

もっとも、マジでヤンキーだった彼女なら、ありえる行動かもしないぞ。

一瞬、特攻服に竹刀を担いだ麻倉社長が頭をよぎり、苦笑いしてしまう。



カラオケスナック「幸」は戸越銀座の、商店街からは離れた路地にある。

木造モルタルアパートの1階の一部を改修した12坪ほどの スナックだ。

忘れもしない。18年前、私はこの2階の一部屋に3年間程暮らしたのだ。


入口の大きな扉を開けたとたん、いきなりママの弓長幸子と目が合った。

カウンターに肘をつき、タバコをふかしていた厚化粧が、一瞬で綻んだ。


「あらっ、誰かと思えばツガイケくん!? まだイケメンね。何年ぶり?」

「ガクさんの最期のこと聞きにきて以来だから‥9年ぶり?くらいかな。

 サチコさんも、お変わりなく。まだまだ若々しくていらっしゃいます。」

「フフッ。見えすいたお世辞も相変わらずね。カオル!ツガイケくんよ!」


すでにミラーボールが光っている、奥のカラオケ・ステージの最前列の

テーブル席から、麻倉薫は手招きをしていた。私は斜向かいに席につく。


「ツガイケくんは…、たしかバーボンよね。ハイボールでもいいかしら。」

「相変わらずサチコさん手際がいい。あれ、ずいぶん粋なお通しですね。」

「フフッ。いちおうフルーツなんだけとね。お箸でいただくのよ、これ。」


店内を見渡せば、昔のスナップ写真のピンナップが増えているようである。

弓長幸子と麻倉薫の若かりし頃。二人とも特攻服に持っているのは竹刀か。

「‥なぁに、写真見てニタついてるのよ。オラ!」

「え、いやまあね。こっちの、このハッピに足袋の翁は喜助さんかい?」

「そう、上棟式の木遣りの麻倉喜助。私のジッちゃんにして、創業者よ。

 私は両親とは折り合いが悪くてね。高校のときはメッチャ荒れてたわ。

 でも、ジッちゃんだけはね。仕事に厳しくても、私には優しかった。

 ツガちゃんもガクちゃんとの縁は、たしかジッちゃんからなのよね。」


話が外れそうになってきた。

「ところで、麻倉社長。依頼してありました概算見積書の件ですが‥。」

すると、またぞろ チェッ!チェッ!と人差し指を左右に揺らしながら

「ここで『社長』はN.G.よ。昔のように『カオルさん』ね。わかった!」

「はいはい、わかりましたよ。 ‥カオルさん。 概算、み・せ・て!」


麻倉工務店による『北方共同住宅計画』の概算見積金額は、私の想定通り。

カレッドから出ている賃料収入から、かなりの利回りになる。優良事業だ。


「さーて。相談事ありってナンなんですか?今日はそれが本題でしょ。」

「ふっ、そうよ。じつは他でもない、翔太のことなの。」

「ショウちゃんが、どうしたって? 

 たしか、型枠大工の白井さんとこで、扱かれてんじゃなかったっけ?」

「せっかく目かけてもらってるのに、もう辞めたいんだって。

 パソコンで図面描くCADあるでしょ。今度は、それ興味持っちゃって。

 専門学校でシステムから勉強したい、って言い出したの。

 工場で型枠加工するのに、図面データからパソコン使ってするでしょ。

 BIMってゆうの? そのシステムそのものを設計したいんだって。

 ま、たしかに木造の柱・梁のプレカットだってパソコンないとね‥。」


以前は、木工事の下請業者にすぎなかった麻倉工務店が、RCの元請工事

の受注ができるようになるほど技術力がついたのも、シライ組のおかげ。

その親分の白井さんの顔は潰せない。そんな思いもあるそうだ。


「ツガちゃん。これは、アナタに聞いてみたいと思ったの。翔太のこと。

 私の元旦那で、翔太の実の父親であるガクちゃんの、その一番弟子に。」



□3□


18年前の3月。私は多田崎建設を辞めた。丸2年務めてだった。

表向きは円満退社だが、監督とは名ばかりの現場での奴隷のような扱いに、

心が限界だったから、というのが本音である。


高校の美術の教科書で見た、ル・コルビュジエの『ロンシャンの教会』を

思い出した。建築の設計がしたい、と、はっきり言えるようになっていた。

いくつかの著名な建築家の事務所に、学生の頃の作品や履歴書を送付して

就活を始めてみる。もう、大きな組織はこりごりだ。ただ、3月末までに

多田崎建設の寮を出なくてはならない。猶予は、有給休暇の残り3日間。


そのとき、手を差し伸べてくれたのが 麻倉喜助 であった。

多田崎建設の内装工事の下請業者のひとつ、麻倉工務店の当時の社長だ

「ウチの下請けの設計屋でよ、図面の腕前はピカイチなんだが、若い衆が

 みんな直ぐ辞めちまうって困ってるのがいてな。若けーの。どうだい?」


アトリエ系の設計事務所に入ることを目指していたが、下宿先と昼は賄い

があるという条件で、この申し出を受けた。ほんの腰掛けのつもりだった。


『一級建築士事務所 ガク建築設計室』は

戸越銀座商店街にある小さな仕出し弁当屋の2階に、事務所を構えていた。

古びたスチールデスクにドラフター付きの製図版が2台。殺風景な室内の

ソファーには、見事なビール腹が突出た作業服の男がタバコを咥えている。

歳の頃は40半ばと聞いていたが、白髪頭がそれ以上の年輪を感じさせる。

所長の佐藤岳は、誰からも本名でなく『ガクさん』と呼ばれていた。

ただ、私は『所長』と呼ぶことにした。まがりなりにも雇主である。


「『手』はお前さんだけだからな。もう今日っから、たのむぜ。おう。」 

(‥まだ昼前だとゆうのに、酒くさい息だな。)

「はあ。‥所長。」と気の無い返事を返すと、ひとり女性がはいってきた。

ロングの茶髪、ジャージにすっぴん。ふっくらして孕っているのはわかる。

「これウチんだ。よろしくな。」女は軽く会釈をしただけで、目を背けた。

いつまで続くのやら‥、と心の声は聞こえた。麻倉薫との出会いであった。


「とぉにかく酒グセ、女グセが、わりーこと。なあ若けーの、そこだけは

 ツルまないよう気つけな。ただな‥。 」麻倉喜助の助言を思い出した。


仕事は、麻倉工務店が前村住興業から丸投げで受注してるという建売住宅

の木造伏図の作成だった。すでに描いてあるプランから伏図を起こすのだ。

(工務店のネーム入りトレシングペーパーに描く‥、プライドないのか?)

「手本はこれだ。簡単だろ。」と言い残し、所長は出ていった。

(ただ、この図面は実に美しい。あのガクさんなる人物の作図なのか‥?)


プランは大量で、作業は膨大にあった。ただ、仕事に身は入らなかった。

所長は朝、事務所から現場や役所へ向かい、夕方戻ると私のその日の作業

を確認する。昼前にカオルさんが顔を出し、仕出し弁当を一緒に食べる。

何を話すわけもなく、身籠でありながらタバコを2,3本、ふかして帰る。

私のお目付役なのだろう。それ以外は、事務所に私ひとり。作業の他には

メーカーや工務店の挨拶や、水商売と思しき怪しげな女からの電話の対応。

退屈な日々が続いた。

履歴書を送った複数のアトリエ事務所からは、ほとんど反応がなかったが、

一社だけ返事があった。貴殿の経歴は、デザインの仕事には相応しくない。

とある。建設会社で現場監督をやっていたことが、仇だというのか。

私は、ますますイジケていった。


「プラン、つくってみろ。3LDK。1/100の平面図だ。」

朝一番、所長はそうゆうと、25坪ほどの敷地の図面を置いて出ていった。

1ヶ月ほどたった日。建売住宅とはいえ、はじめて設計事務所らしい仕事

を任され、嬉々とした。丸一日かけて1階、2階の平面図を完成させた。


「屋根、どう架かるんだ?」

次の日の朝一番、所長は平面図を見るなり言った。私は言葉がなかった。

「狭い敷地だ、北側から斜線制限はこう。前面道路の斜線制限はこうだ。

 自ずと納まる屋根の形は決まる。建物の形や必要な壁の配置が決まる。

 構造的な整合性を意識すれば、それだけで建物全体の形も美しくなる。」

そこまで言うと、所長は製図台にトレシングペーパーをセットした。

「オレが今から描くから。そこで立って、後ろから見てろ!」

酒臭い息を吸い込むと、所長は一気にシャープペンシルを走らせた。

( ‥速い!作図に無駄な動きがない。美しい!なんて繊細なタッチだ。)

小一時間ほどで、1階、2階の平面図を完成させてしまった。


「お前さんの描いたのは素人の『間取』。プロの『プラン』じゃない。

 オレは1/100の平面図を描くとき、全てを頭に入れているんだぜ。

 屋根の形だけじゃない。雨樋の配置、エアコンやガス湯沸器の置場、

 設備配管、換気扇のダクト‥。でないと、描けないんだ。本当はな。」

 所長は、握っていたSTAEDLERのシャープペンシルを静かに置くと。

「『プランは全ての決定である。』 誰の言葉か知ってっか?」

( ‥ ル・コルビュジエ の言葉だ。)


「‥ただな。あのガクは設計者としての実力はピカイチさ。

 お前さん将来、建築家を目指すんなら最高の勉強だ。保証してやる。」

 麻倉喜助のあの助言。私はこのとき、はじめて実感した。



□4□


「ツガちゃん。あれから、目付きが明らかに変わったわね。」


あの日からガムシャラに働いた。自らの思い上がりも恥ずかしかった。

なんでも吸収してやろう。そう思うと、どんな仕事でも楽しくなった。


「聞いてもいいかな‥。所長、あいやガクさんとは、どうして‥?」

「ときどき、女から電話あったでしょ。前の奥さんよ。より戻したのよ。

 と言っても、元々籍はそのままだったから、私は何も言えなかったわ。

 翔太が生まれて。入れ替わるようにジッちゃんが逝って。頼りにしてた

 ツガちゃんも旅立って‥、糸が切れたのね。あ、自分を責めないでね。」


私は丸3年務め、ガク建築設計室を卒業した。

卒業証書はさしずめ『一級建築士免許証』。この3年間で取得できたのだ。

ル・コルビュジエの建築を、実際に見てみたい。その私の申し出に所長は

喜んで送り出してくれた。感謝しかなかった。

半年後、帰国してみると「ガク建築設計室」はすでになくなっていた。


「死んだ、というのは確かなの。ただ、命日もお墓も何もわからずじまい。

 だから、このカラオケ・ステージの前で、ときどき悼んでいるの。」

 ガクさんのオハコは鳥羽一郎の『兄弟船』。熱唱は何度も聞かされたな。


「‥CADの導入を考えていたんだ。ガクさん。じつは、あの頃。」

 しんみりしかけた空気の中、私から話し出した。


「あのとき、多くの建築設計事務所がCADを導入し始めていたでしょ。

 製図台は次々とPCに置きかわっているのを、ガクさんも知ってたよ。

 私は現場で、CADで施工図を描いてて心得があったから相談うけてね。

 このままじゃ、いけない。どこから始めればいいか って。でもそれ、

 ガクさんがそれまで培ってきた、図面の手書技術を捨てることになる。


 『慣例や既存の価値観に、囚われるな。』と、事あるごと口にしてた

 信念を、実践しようとしてたんだな。なかなか、できることじゃない。」

 カオルさんは、うつむいたまま、少しうなづいた。


「だから、オレはショウちゃんの判断を推したい。正にガクさんの血だよ。

 白井のオヤジさんも、わかってくれるんじゃないかな。」


「‥わかったわ。」

 吸殻を灰皿に押し付け、カオルさんは クスッ!と笑った。

 私の答えは、はじめから期待していたものだったのだろう。

 吹っ切れたように髪を掻き上げた笑顔は、晴々としていた。


「それっじゃ供養のため。ツガちゃん一曲!『兄弟船』よ。イえ~い!」

「え? オレが歌うの!?」



□5□


北方さんが、私の事務所に来られたのは、それから数日後のことであった。

この日は、私が提案するコの字型プランでの『収支事業計画書』の説明だ。


「いい利回りでしょ。融資の審査は、間違いなく通りますよ。」

「栂池さん。すみません。

 じつは、栂池さんには内緒で、他の設計事務所や住宅メーカーにも図面

 引いてもらったんです。これです。他のは全部、先日お話ししたような

 片廊下式のプランってゆうそうですが、『長-い廊下』案なんです。

 違いといえば、せいぜい部屋が東に向いてるか、西に向いているか‥。」

「私のコの字型プランなら、全ての住居は南向きですが。」

「あっ。そうですねぇ‥。」


『アボカド』 ってご存知ですよね。


 私は、事務所のミニキッチンから、盛り付けた2皿を取り出した。

「どうぞ。染みの店で、お通しで出していて、少し分けてもらいました。

 いちおうフルーツなんですが、お箸でいただくんです。ワサビ醤油で。」

「ほう。こんな食べ方は初めてですが‥、たしかに旨い。」


北方さんの顔が、ほころんできた。

すこし分かってもらえただろうか‥


「こんど、このお店、いってみましょうか?

 戸越銀座は、蒲田から池上線ですぐですよ。」




□あとがき□


ついつい、長いお話になってしまいました。

さいごまでお読みいただきまして、ありがとうございました。 岩間隆司

2020年12月12日土曜日

【小説】孤独の住宅建築家_03 建築現場の青春:編



□まえがき□


 <プロフィール欄>

  栂池京信:アトリエ・ツガイケ一級建築士事務所 主宰

  都内を中心に個人住宅や集合住宅の設計監理をおこなう。

  男性/43歳/独身(離婚歴?)その他プライベートは不明。

  ※もちろん、架空の人物である。

  その他、登場する人物、計画、建築、組織、全て架空のものである。


これまでのお話し
孤独の住宅建築家_01 マッチングサイト:編
孤独の住宅建築家_02 ふたつのテナント:編


□ 01 □


「空き家問題」に関して、インタビューに答えてもらえませんか‥?」


民放大手の関日テレビで番組製作を請負っているという「QV総合企画」

そこのディレクター倉石という男からの電話依頼は、はじめはそうだった。


「そのインタビューはどこで? スタジオでかい? この事務所でかい?」

「栂池先生には、あるお宅を尋ねていただいてですね。そこで、ひとつ‥」


すでに生活が成り立っている住宅に、上がりこむことはしたくない。

私が設計した住宅作品でも、引渡し後のTV取材はこれまで全て断ってきた。

たとえ、住みての方々が取材を承諾されたとしても、である。


「そこをなんとか!今回だけ、ということでお願いできませんかね‥。」

「住宅は生活の空間。それを演出で使うというのは違和感があるなあ。」

「アシスタントには、若くて可愛いい女性も一緒なんですがねぇ‥。 」


あげくの果てには、足元にすがりつかんばかりの台詞に、くどい!と一喝。

電話を切ったその瞬間に、秋元くんが事務所のドアを開け、はいってきた。



□ 02 □


「あぁ、それ『甘露ミホのゴミ屋敷まとめてポイ!』ってコーナーですよ。   

 栂池さんも知ってるでしょ!グラビアで売り出し中の甘露ミホちゃん。」


秋元皇太郎。独立して3年あまりの若手建築家だ。

彼の説明によると、関日テレビのお昼のワイドショーのコーナーだという。

一級建築士がツナギを着せられ、いまをときめくアイドルと一緒にゴミ屋敷

の片付けをする、という企画のコーナーだそうだ。

( 断ってよかった‥。) 頭を抱えてうなだれた。

「あれぇ~、栂池さん。もしかして、出演断ったこと、後悔してます‥?」

ンなわけネーだろ!

 それよりも今日は、明日からの室内点検の段取りの打ち合せなんだろ?」

「僕や栂池さんの作品でもないのに、すみません。ホント助かりますよ。」


秋元くんが「ホント助かりますよ!」と、頼んできた今回の仕事。

それはまさに、生活空間に土足で上がりこむような仕事であった。



□ 03 □


レジデンシャル大岡山』 

竣工してちょうど一年が経つ分譲マンションである。11階建て、全36戸。

住居の種類は、79.38m2の4LDKから、53.93m2の3LDKまで5タイプ。

そしてこの時期、マンションの完成一年後点検をおこなうことになった。


点検を主催するのは、建物の設計施工及び分譲販売の株式会社多田崎建設。

マンション建設では業界最大手で一部上場企業である。

ただ、点検内容に『レジデンシャル大岡山管理組合』は疑念を抱いている。

その管理組合から、多田崎建設の点検に第三者の一級建築士として立ち会い

を求められたのが 秋元くんであった、ということだ。


「管理組合って、ふつう販売業者の関連会社になるんじゃないの?」

「はじめっから、いろいろあったみたいなんですよ、池田先輩によると。

 あ、その池田先輩が僕の剣道部の先輩で組合の理事のひとりなんです。

 廊下・階段の共用部、屋上防水関係は昨日までに多田崎建設の担当者と

 僕とで点検おわらせました。あとは専用部。住居の室内だけです。」

「で、オレは何をすれば‥」

「栂池さんは、室内点検のBチームに立ち合ってください。

 なにせ全部で36戸、土日の2日間でおわらせなくっちゃならいんでね、

 点検はAチームとBチーム、ふた手に分かれてすることになったんです。

 僕はAチームの方に立ち合います。

 点検そのものは、多田崎の営繕部と営業部の担当者がやりますから。」


すると、秋元くんは声をひそめた。

「栂池さん。この仕事、チョロいっスよ。

 点検の報告書は、全て多田崎建設のほうで作りますから。

 僕らは、ただ現場で点検作業を監視してれば、それでいいんスから。」



□ 04 □


「多田崎建設ねぇ‥。」

「多田崎が、なんか?」

「あ、いや、べつに。」


5時をまわったことを確認して、バーボンを開ける。

今宵は S_NETZの曽根谷社長から届いた WILD TURKEY だ。

秋元くんの口が、いつになく軽くなってきた。


「栂池さん。僕の方からお手伝い、お願いしておいてナンなんですがねぇ。

 その 靴。ナンとかなりませんか‥。」

「靴? クツがなんだい。」

「大企業の多田崎建設を監視する仕事ですよ。シャキッといきましょうよ。

 栂池さんの、いつものツイードのジャケット。あれはいいですよ。

 デニムもまあまあかな。ただその クツ、イケてないっすよ。」

「わかった、わかった。明日はTAKEO KIKUCHIの紐なしのにしとくよ。」


ひと回りも違う若いもんに、服装をとやかく言われるとは思わなかった。

彼がイケてない!というのは、このTimberland のトレッキングシューズ。

配筋されたスラブの鉄筋にも普通に上がれ、配筋検査にも向いている。

現場監理のための靴だが、普段でも履くようになっていた。


「栂池さんの事務所にインターンに来てた女子大生が2人、いたでしょう。

 『Mプロジェクト』のコンクリ打ちの現場で、僕にグチってたんですよ。

 突然ヘルメットかぶらされて、急に現場に連れてこられたって。」

「あのときは、わるかったな。秋元くんの現場を使わせてもらったよ。

 職人と一緒に型枠叩かせたのよ。現場の作業を知ってもらおうとね。」

「そんなことさせたんスか! インターンの実務経験で?女の子に‥?」


そのあと届いた、担当の鷹村小百合准教授からの謝礼のメール。

そこには、やんわりと(女学生に何をさせる!)という抗議が滲んでいた。

ただ、彼女達はこのまま卒業すると、建設現場の空気を肌身を持って知る

機会はもうないだろう。そして、そのまま『先生』と呼ばれる仕事に就く。

それでいいのか。


「だいたい栂池さんは、オンナのあつかいっつーのを知らないんスよ。

「おいおい、飲み過ぎなんだろう‥」


WILD TURKEY はキツい酒だ。

明日からは点検の立ち会いが始まる。今宵はここまでとしておこう。

ふらつく秋元くんを外まで見送ると、急に冷え込んできたことがわかった。



□ 05 □


レジデンシャル大岡山・室内点検の初日は、凍えるような雨の日になった。

午前9時、エントランスで多田崎建設の担当者達と顔を合わせ、軽く挨拶。

すこし元気のない秋元くんとAチームは1階から。私とBチームは上階へ。

6階から11階まで18住居の室内を、私が立ち会うBチームが担当するのだ。


多田崎建設側が用意した点検チェックリストは、住居ごとのシートになり、

躯体・仕上・設備各9項目に分かれている。指摘箇所は平面図に書き込む。

確かに、このチェックリストにさえ沿って点検すれば、それだけで済むな。


Bチームは、営業部の絹川哲志と営繕部の織田源という、ふたり組である。

絹川は物静な性格だか、織田のデリカシーのない物言いには、些か困った。

「見ました?栂池さん。あのゲージの中のヘンなの。ウナギイヌですか?」

「ああ、フェレットですね。きっと、動物が好きなご家族なんでしょう。」

「あんナン飼っちゃって。やっぱへんな連中が多いな、ここ。ヒッヒッ!」


昼食をはさんで、午後の点検は7階の702号室から始めることになる。

玄関のチャイムを鳴らすと、上河内貞夫という初老の男が顔を出した。


「点検? 点検って、その前に、どうしてくれるんだよ! オレの人生。」

絹川も織田も、その場に立ち尽くした。上河内は目に涙を浮かべていた。

「家内が‥。家内はもう、戻らない。 戻らないよ‥。」



子育てを終え、仕事もリタイアした上河内は、終の住処として手に入れた

このレジデンシャル702号室で、夫婦ふたり、穏やかな老後を望んでいた。


トイレから異臭がし出したのは、入居後すぐ。明らかに汚物の匂いだった。

上河内は妻の咲恵に、トイレの床をよく拭くよう言いつけた。毎日、毎日。

それでも匂いは全く無くならない。お前の拭き方が悪い、と語気も強まる。

咲恵は、くる日もくる日も、床を拭き続けた。まだ臭い、夫の罵声が飛ぶ。

これまで夫に口答えもしたことがなかった咲恵が、はじめて反旗を翻した。

出ていったのだ。 半年前のこと。


咲恵の家出後、上河内は意を決してトイレの床を撤去してみることにする。

匂いがおさまらないのは、やはりおかしい。

新築工事業者の多田崎建設でなく、他のリフォーム業者に工事を発注した。

はたして床下から現れたのは、汚物の漏れた塊。目を覆いたくなる状況だ。

便器と汚水のトミジ管との接続不良。配管は、コンクリートのスラブ上で、

躯体に多少染み込んだ汚水だけで、下階に影響がなかったのは幸いだった。


‥なんてことだ、咲恵のせいではなかったのか。

些細な事が、強いはずの絆に亀裂を生んだ。悔やんでも、悔やみきれない。



涙ながらに訴える、上河内という男。

このとき、私の20年前の記憶が蘇ってきた。


( 上河内部長‥。工事管理部の上河内貞夫部長、じゃないですか。)







□ 06_01 □


「施工図は『見上げ図』になるんだよ!何度言わせんだ、このバカ野郎!」

おおよそ思いつかんばかりの罵詈雑言が、毎時間のように飛んできた。

「ったく大工に余計な手間かけさせやがって。栂池!てめーの責任だぞ。」

現場の次席・町木駿二の罵声に、私はすでに恐怖も反発心もなくしていた。

日頃の激務で疲労し、感情が麻痺していたのだ。


とくに昨日のガラ出しで、体も精神も極限の状態だ。

徹夜で仕上げた施工図を間違えたのは、そのせいだ。

コンクリのガラが詰まったガラ袋を20体、場外に一人で運び出したのは、

午後の5時からだ。職人は皆あがってしまう時刻。その時点で終ってない

汚れた仕事、チカラ仕事は新人監督がすることと、相場が決まっていた。



20年前。私は大卒の新入社員として、多田崎建設 に入社していたのだ。

現場の仕事は希望ではなかったが、それでも就職ができただけ幸運だった。

入社後、研修を経て配属されたのが、全48戸からなる新築分譲マンション、

『レジデンシャル菊名』という、この現場であった。


「バツだ。ホールインアンカー40発、打ってこい。午前中に終わらせろ。

 たしか午後からは本社で『新入社員月例研修会』だったよな。おめー。」


各現場に配属されている工事管理部所属の入社一年目の新人は、毎月一度

渋谷の多田崎建設本社に呼ばれ、半日間の研修会に臨むことになっている。

現場でタガが外れていないか、定期的に監視することが目的であろう。


「高嶺所長からの言付けだ。今日は現場へ戻らず、寮に直帰していいとよ。

 よかったなあ、栂池。同期とせいぜい楽しんできな。やさしい現場だろ。

 いいか。くれぐれも、上河内部長には余計なこと言うんじゃねえぞ! 」



□ 06_02 □


現場のロッカーに吊っ放しのスーツを1ヶ月ぶりに着て、渋谷へ向かった。

午後1時半。多田崎建設本社7階、工事管理部第三会議室。

私と同期入社の沼井正一、林野玄太郎のふたりは、すでに席についていた。

もうひとり。米光了章はどうしたのだろう。

「米光は‥?」 シッ!と、すぐさま人差し指を口元に当てたのは林野だ。

そのとき、工事管理部の上河内部長が会議室に入ってきた。


「全員起立! 先代社主訓示、唱和!」

「先んずることが勝利である!」 ‥『先んずることが勝利である!』

「執念と気迫をもってすすめ!」 ‥『執念と気迫をもってすすめ!』

「数こそが豊さであると知れ!」 ‥『数こそが豊さであると知れ!』

「先人に学べ。道はひとつだ!」 ‥『先人に学べ。道はひとつだ!』

「よし、着席!」


工事管理部の部長・上河内貞夫は、東栄大ラグビー部OBの元ラガーマン。

恰幅がよく、威圧的な態度で押してくるタイプの人物。工事管理部では、

現場配属の人事権は全て、この上河内部長が握っているのだ。


「今日はこれから神谷部長の講義。主に労働安全衛生法に関してのこと。

 その後、君たちにはレポートを書いてもらう。それから解散とする。」


神谷部長とは、工事管理部の神谷甲之助のこと。厚労省のOB。天下りだ。

講義は、睡魔に耐える地獄のような1時間半であった。

上河内部長のレポートのお題は 『自分が、この社に貢献できること。』

A4のレポート用紙を埋め尽くすことを要求された。地獄その2であった。


「このレポートは、私の方で確認しておこう。今日は皆、ご苦労だった。

 ‥

 ところで、気がついたとは思うが、君たちの中にひとり落伍者が出た。

 残念だが、彼は社に対する責任感も忠誠心も無くしてしまったようだ。

 これは、社にとっても、彼の人生にとっても大きな損失だ。

 残った君たちには、これまで以上に職務に邁進するように。以上だ。」



□ 06_03 □


研修会が終わるなり、私たち同期の3人は、居酒屋になだれ込んでいた。

乾杯のビールを口にすると、これまでの疲れがマグマの如く吹出てきた。

私はウトウトとして、沼井と林野の会話に耳を傾けるだけとなっていた。


「米光、どうしたんだろう。無断欠勤が続いているとは聞いてたけど。」

「彼の親友が突然、亡くなったんだよ。癌だそうだ。」


同じ東栄大出身で、米光と仲が良かった林野が続けた。

「アメフト部の同僚だったんだ、米光とは。

 若いことが災いしたみたいだ。癌が見つかって、あっとゆう間だよ。」

「それで、人生観が変わっちゃったとでも‥?」

「そうなんだ、やりたい!と思ったことは、やろう!と決めたんだな。

 米光、ミャンマーで学校を作る活動に参加しよとしたんだ。聞けば、

 どうも前から関心があったようだ。せっかく建築学科も出てるしね。」

「へ‥、それで?」

「上河内部長に直接、相談にいったのよ。何年か休職させてくれないか。

 米光としては、同じ大学のアメフト部のOBと元・ラガーマンだ。

 理解してもらえるだろうと思ってたら、大変なことになっちゃった。」

「どうゆうこと?」

「上河内部長、烈火の如く怒ったんだと。会社ナめてんのか!‥って。

 とばそうとしたんだ、あのリストラ部屋(情報管理室)へ、米光を。

 それから、ずっと無断欠勤さ。退職届は、ミャンマーからかもね。」


 ‥‥

「米光はすごいよ。俺には無理だ、奨学金もあるし。沼井はどうだ?」

「オレは頑張って設計部にあがりたい。でも、あの上河内部長じゃあ

 無理なのかな‥。栂池、おい栂池! おまえはどうしたいと思う?」

「‥オレは、今は何も考えられない。 ただ 2年間 だな。」

「なんだい、そりゃ?」

「一級建築士の受験資格で必要な実務経験年数だよ。大卒で2年間。

 そこから考える。それまでは、生き残ることだけを考えてるんだ‥」





□ 07 □


室内点検2日目は、前日までとはうってかわって、爽やかな晴天となった。

午後3時には、Aチーム、Bチームとも担当する全ての住居内の点検を終え

エントランスに集まってきた。秋元くんも、少しほっとしたような笑顔だ。


「皆さん、この二日間の室内点検、お疲れ様でした。

 秋元さん、栂池先生にもご尽力ありがとうございました。」


完成後一年点検全体を指揮する、Aチームの営繕部・前川が挨拶に立った。


「これで、レジデンシャル大岡山・完成後一年点検は全て完了しました。

 点検報告書は、営繕部のほうで作成いたします。管理組合の高津理事長

 へ提出の予定なのですが、提出の前に、秋元先生と栂池先生には報告書

 それぞれお送りいたしますので、内容ご確認ください。 では、解散!」


「栂池さん。僕の仕事だったのに、感謝です。」「いいよ、楽しかった。」

「栂池先生。いろいろ、お世話になりました。今後とも、ひとつ宜しく。」

「栂池さん。今度、呑みましょうよ。ウナギイヌ刺身にね。 ヒッヒッ!」

「栂池くん!」

 ‥‥‥ん?


「栂池くん。ひさしぶりだ。元気そうでなにより。」

「上河内部長‥。覚えていてくださったんですね。」



 ‥‥

「昨日は惨めな醜態をさらしてしまったな。どうか、忘れてくれんか。」


喫茶店の小さな丸椅子に腰を下ろした、上河内さん。元工事管理部部長だ。

元ラガーマンの大きな体はそのままに、かつて工事管理部の人事を一手に

掌握した辣腕はもうない。威圧感もすっかり消え、白髪の増えた老紳士だ。


「あの702号室はね。退職金の一部として社から支給されたものなんだ。

 汚水管の接続不良とは、明らかな我が社の施工ミス。瑕疵(かし)だ。」


本来は、新築工事業者の多田崎建設が、全て責任を負わなくてはならない。

ただ、瑕疵だと薄々気がついていた上河内さんは、あえて多田崎建設とは

無関係のリフォーム業者に、トイレの改修をさせたのだ。


人生の全てを捧げた建設会社。その建設会社の仕事による 瑕疵の疑い。

上河内さんのプライドが、目を背けさせた。そして大切なものを失った。

私たち二人だけの店内に、時計の音だけが響く。


 ‥‥

「じつは。思い出したんだ。君に返さなくてはならないものがあった。」

おもむろに、上河内さんは、カバンからクリアファイルを取り出した。

中には、A4のレポート用紙が一通。鉛筆の手書き文字で埋まっている。


「ああ。それは、あの月例研修会のときの、私のレポートですか?」

「そうだ。覚えていたね。ちょっとした タイムカプセル だな。」

上河内さんに、すこし笑顔がもどった。私も、つられて微笑んだ。


人の記憶というのは、じつに都合がいい。

たとえ辛かった時代のことでも、琥珀色に輝く宝物にしてしまう。


「でも、部長。決めたんです。」

クリアファイルから、レポート用紙を取り出しながらつづけた。

「私は、もう戻らない、と。自分の意志で生きていくと。」

レポート用紙を、千切る。2枚に、4枚に‥


思いのほか、上河内さんは、穏やかな目をしていた。




□あとがき□


一級建築士を取得するための、必要実務経験の年数。

法改正により、受験資格の用件ではなく、免許の登録用件となりました。


さいごまでお読みいただきまして、ありがとうございました。 岩間隆司