迷走「新国立」の行方 と題し、新国立競技場の建替計画の是非を
めぐる記事が『日経アーキテクチュア』7-10号に掲載されてます。
6/14 新国立競技場の基本設計に関する 私のここのコラムにも
たくさんのアクセスをいただきました。再び触れることにします。
2020東京五輪のメイン会場となるべく新国立競技場計画への批判
は 大別しますと
イニシャル・ランニングともかかる莫大なお金と 景観の問題です。
コンペで示された予算が 1300億円、ザハの採用案は 3000億円
『日経‥』の記事によりますと。
コンペでは一次審査に先立ち技術調査が実施され、提出された案が
1)実現可能 2)計画段階で重大な調整が必要 3)明らかに実現不可能
の3段階で評価されたそうです。
確認には、積算(見積りのことでしょう)の専門家も確認しており、
ザハ案は 2)計画段階で重大な調整が必要 となったでしょうか?
ザハの計画案は、躍動感がある造形でかっこいい。と私も思います。
ただ
この時点で、この案は予算のフライング。と判定されるべきでした。
日頃、厳しい予算で仕事してる身としては、こだわってしまいます。
景観の観点からの批判の旗・建築家槙文彦氏のコメントにも注目。
ただ、他のどのコンペ案にも、伊東豊雄氏の改修案にも、微妙に
距離をおかれた発言に、正直 私は違和感も覚えるところです。
いち論客としてでなく、建築家としての 提案 を見てみたい。
たとえば、議論の呼び水となるべくコンセプト案でも。
1964年 の 東京オリンピック。
壮大な東京の開発は 功罪 ともにあったと思います。
罪の部分に思い当たるのが、首都高速道路の高架による景観破壊。
かつて江戸(東京)は運河による水上交通網の街でした。
土地の収用をせず、てっとりばやく首都高速道路をつくるために、
運河の上に高架橋を渡しました。運河は暗渠になりました。
その景観破壊のありようは、日本橋の情景が象徴でしょう。
これは、昨今ようやくストップの機運が出てきた 町中の電柱と
存在が似ていますが、こういった『手っ取り早くの利便性』から
経済発展の豊かさを享受してきた世代としては、いささか複雑な
気持ちにもなります。
50年後のいま
景観という観点で、公共物の議論ができることの健全を感じます。
ただ、五輪招致 =公共工事 =経済効果 という意識は根強く、
五輪計画に絡む情報のそこかしこに、いまでも垣間見えます。
たとえば先月、都知事が会場計画、一部見直しを発表しました。
五輪のために新設する競技場を一部取りやめるということですが、
裏を返せば、コンパクト五輪といいつつ無駄な施設工事もあった
ということでしょう。釈然としません。
コンパクト より リーズナブルな五輪 というコンセプトでも
よかったでしょう。