2014年7月27日日曜日

『デザイナーズ』なんて、いらない。


埼玉県立近代美術館での企画展
戦後日本を代表する16人の建築家とその住宅作品を紹介した企画展です。
東孝光氏の『塔の家』や、安藤忠雄氏の『住吉の長屋』といった、すでに
一般的にも知られた住宅作品も、たくさん紹介されています。
全て90年代のネット革命以前に建築された作品であり、それぞれの住宅に
単なる表層のデザインとは言い切れない、哲学があることはわかります。

ネットによる情報活用が普及した90年代、建築家が住宅や集合住宅の計画
をおこなえるチャンスは増えました。(私も、その恩恵を受けてきました。)

そんな住宅や集合住宅作品に 『デザイナーズ』 という枕詞がつきました。
たとえば、この『デザイナーズ』を付加価値として差別化された集合住宅が
『デザイナーズ・マンション』といわれました。
賃貸集合住宅の市場に新たに生まれた需要のように捉えられていましたが、
実際には潜在的にあったニーズが、ネットによって詳らかになったものです。
2000年前後 私も『デザイナーズ・マンション』を手がける建築家、として
主に雑誌媒体から沢山の取材を受けました。それ自体は、ありがたいことと
感じていましたが、同時に なにか違和感 も覚えていました。

『デザイナーズ』を簡単にいってしまうと、個性的 ということでしょうが、
別に、個性的な集合住宅を作ろうと設計していたわけではありませんでした。

与えられた条件のもと、可能な限りの事業性・効率性を突き詰めて計画する
ことで、結果的にそこに個性が生まれ、付加価値となっていっただけでした。
事業性を突きつめると、住宅メーカーの規格品のような商品にはなりません。

あるいは
『デザイナーズ・マンション』の代名詞のように扱われた、コンクリートの
打放し仕上げにしても、そのテクスチャーとしての好みというよりは
(もちろん、入居される多くのテナントさんも私も、大好きな素材ですが。)
コストの関係から、むしろ、やむなく選択する素材 とした意識でした。
『塔の家』や『住吉の長屋』のコンクリート打放しも、同じ発想でしょう。

こうなると、個性 とは、本当はなんなのか。考えてしまいます。

養老孟司氏の新書「自分」の壁 でも、個性とは何か。語られています。
伝統芸能の世界に入門した弟子は、とにかく師匠の真似を強いられます。
10年、20年‥。
それでも師匠のクローンにはならない。どこかがどうしても違ってくる。
それが 個性 である、と。
‥なるほど。

個性とは
単に付け加えるものではなく、研鑽や修練の末に生まれるもののようです。
『デザイナーズ』という言葉で個性を表現すること。もう、やめませんか。