□まえがき□
<プロフィール欄>
栂池京信:アトリエ・ツガイケ一級建築士事務所 主宰
都内を中心に個人住宅や集合住宅の設計監理をおこなう。
男性/43歳/独身(離婚歴?)その他プライベートは不明。
※もちろん、架空の人物である。
その他、登場する人物、計画、建築、組織、全て架空のものである。
これまでのお話し
孤独の住宅建築家_01 マッチングサイト:編
孤独の住宅建築家_02 ふたつのテナント:編
□ 01 □
「空き家問題」に関して、インタビューに答えてもらえませんか‥?」
民放大手の関日テレビで番組製作を請負っているという「QV総合企画」
そこのディレクター倉石という男からの電話依頼は、はじめはそうだった。
「そのインタビューはどこで? スタジオでかい? この事務所でかい?」
「栂池先生には、あるお宅を尋ねていただいてですね。そこで、ひとつ‥」
すでに生活が成り立っている住宅に、上がりこむことはしたくない。
私が設計した住宅作品でも、引渡し後のTV取材はこれまで全て断ってきた。
たとえ、住みての方々が取材を承諾されたとしても、である。
「そこをなんとか!今回だけ、ということでお願いできませんかね‥。」
「住宅は生活の空間。それを演出で使うというのは違和感があるなあ。」
「アシスタントには、若くて可愛いい女性も一緒なんですがねぇ‥。 」
あげくの果てには、足元にすがりつかんばかりの台詞に、くどい!と一喝。
電話を切ったその瞬間に、秋元くんが事務所のドアを開け、はいってきた。
□ 02 □
「あぁ、それ『甘露ミホのゴミ屋敷まとめてポイ!』ってコーナーですよ。
栂池さんも知ってるでしょ!グラビアで売り出し中の甘露ミホちゃん。」
秋元皇太郎。独立して3年あまりの若手建築家だ。
彼の説明によると、関日テレビのお昼のワイドショーのコーナーだという。
一級建築士がツナギを着せられ、いまをときめくアイドルと一緒にゴミ屋敷
の片付けをする、という企画のコーナーだそうだ。
( 断ってよかった‥。) 頭を抱えてうなだれた。
「あれぇ~、栂池さん。もしかして、出演断ったこと、後悔してます‥?」
「ンなわけネーだろ!
それよりも今日は、明日からの室内点検の段取りの打ち合せなんだろ?」
「僕や栂池さんの作品でもないのに、すみません。ホント助かりますよ。」
秋元くんが「ホント助かりますよ!」と、頼んできた今回の仕事。
それはまさに、生活空間に土足で上がりこむような仕事であった。
□ 03 □
『レジデンシャル大岡山』
竣工してちょうど一年が経つ分譲マンションである。11階建て、全36戸。
住居の種類は、79.38m2の4LDKから、53.93m2の3LDKまで5タイプ。
そしてこの時期、マンションの完成一年後点検をおこなうことになった。
点検を主催するのは、建物の設計施工及び分譲販売の株式会社多田崎建設。
マンション建設では業界最大手で一部上場企業である。
ただ、点検内容に『レジデンシャル大岡山管理組合』は疑念を抱いている。
その管理組合から、多田崎建設の点検に第三者の一級建築士として立ち会い
を求められたのが 秋元くんであった、ということだ。
「管理組合って、ふつう販売業者の関連会社になるんじゃないの?」
「はじめっから、いろいろあったみたいなんですよ、池田先輩によると。
あ、その池田先輩が僕の剣道部の先輩で組合の理事のひとりなんです。
廊下・階段の共用部、屋上防水関係は昨日までに多田崎建設の担当者と
僕とで点検おわらせました。あとは専用部。住居の室内だけです。」
「で、オレは何をすれば‥」
「栂池さんは、室内点検のBチームに立ち合ってください。
なにせ全部で36戸、土日の2日間でおわらせなくっちゃならいんでね、
点検はAチームとBチーム、ふた手に分かれてすることになったんです。
僕はAチームの方に立ち合います。
点検そのものは、多田崎の営繕部と営業部の担当者がやりますから。」
すると、秋元くんは声をひそめた。
「栂池さん。この仕事、チョロいっスよ。
点検の報告書は、全て多田崎建設のほうで作りますから。
僕らは、ただ現場で点検作業を監視してれば、それでいいんスから。」
□ 04 □
「多田崎建設ねぇ‥。」
「多田崎が、なんか?」
「あ、いや、べつに。」
5時をまわったことを確認して、バーボンを開ける。
今宵は S_NETZの曽根谷社長から届いた WILD TURKEY だ。
秋元くんの口が、いつになく軽くなってきた。
「栂池さん。僕の方からお手伝い、お願いしておいてナンなんですがねぇ。
その 靴。ナンとかなりませんか‥。」
「靴? クツがなんだい。」
「大企業の多田崎建設を監視する仕事ですよ。シャキッといきましょうよ。
栂池さんの、いつものツイードのジャケット。あれはいいですよ。
デニムもまあまあかな。ただその クツ、イケてないっすよ。」
「わかった、わかった。明日はTAKEO KIKUCHIの紐なしのにしとくよ。」
ひと回りも違う若いもんに、服装をとやかく言われるとは思わなかった。
彼がイケてない!というのは、このTimberland のトレッキングシューズ。
配筋されたスラブの鉄筋にも普通に上がれ、配筋検査にも向いている。
現場監理のための靴だが、普段でも履くようになっていた。
「栂池さんの事務所にインターンに来てた女子大生が2人、いたでしょう。
『Mプロジェクト』のコンクリ打ちの現場で、僕にグチってたんですよ。
突然ヘルメットかぶらされて、急に現場に連れてこられたって。」
「あのときは、わるかったな。秋元くんの現場を使わせてもらったよ。
職人と一緒に型枠叩かせたのよ。現場の作業を知ってもらおうとね。」
「そんなことさせたんスか! インターンの実務経験で?女の子に‥?」
そのあと届いた、担当の鷹村小百合准教授からの謝礼のメール。
そこには、やんわりと(女学生に何をさせる!)という抗議が滲んでいた。
ただ、彼女達はこのまま卒業すると、建設現場の空気を肌身を持って知る
機会はもうないだろう。そして、そのまま『先生』と呼ばれる仕事に就く。
それでいいのか。
「だいたい栂池さんは、オンナのあつかいっつーのを知らないんスよ。」
「おいおい、飲み過ぎなんだろう‥」
WILD TURKEY はキツい酒だ。
明日からは点検の立ち会いが始まる。今宵はここまでとしておこう。
ふらつく秋元くんを外まで見送ると、急に冷え込んできたことがわかった。
□ 05 □
レジデンシャル大岡山・室内点検の初日は、凍えるような雨の日になった。
午前9時、エントランスで多田崎建設の担当者達と顔を合わせ、軽く挨拶。
すこし元気のない秋元くんとAチームは1階から。私とBチームは上階へ。
6階から11階まで18住居の室内を、私が立ち会うBチームが担当するのだ。
多田崎建設側が用意した点検チェックリストは、住居ごとのシートになり、
躯体・仕上・設備各9項目に分かれている。指摘箇所は平面図に書き込む。
確かに、このチェックリストにさえ沿って点検すれば、それだけで済むな。
Bチームは、営業部の絹川哲志と営繕部の織田源という、ふたり組である。
絹川は物静な性格だか、織田のデリカシーのない物言いには、些か困った。
「見ました?栂池さん。あのゲージの中のヘンなの。ウナギイヌですか?」
「ああ、フェレットですね。きっと、動物が好きなご家族なんでしょう。」
「あんナン飼っちゃって。やっぱへんな連中が多いな、ここ。ヒッヒッ!」
昼食をはさんで、午後の点検は7階の702号室から始めることになる。
玄関のチャイムを鳴らすと、上河内貞夫という初老の男が顔を出した。
「点検? 点検って、その前に、どうしてくれるんだよ! オレの人生。」
絹川も織田も、その場に立ち尽くした。上河内は目に涙を浮かべていた。
「家内が‥。家内はもう、戻らない。 戻らないよ‥。」
子育てを終え、仕事もリタイアした上河内は、終の住処として手に入れた
このレジデンシャル702号室で、夫婦ふたり、穏やかな老後を望んでいた。
トイレから異臭がし出したのは、入居後すぐ。明らかに汚物の匂いだった。
上河内は妻の咲恵に、トイレの床をよく拭くよう言いつけた。毎日、毎日。
それでも匂いは全く無くならない。お前の拭き方が悪い、と語気も強まる。
咲恵は、くる日もくる日も、床を拭き続けた。まだ臭い、夫の罵声が飛ぶ。
これまで夫に口答えもしたことがなかった咲恵が、はじめて反旗を翻した。
出ていったのだ。 半年前のこと。
咲恵の家出後、上河内は意を決してトイレの床を撤去してみることにする。
匂いがおさまらないのは、やはりおかしい。
新築工事業者の多田崎建設でなく、他のリフォーム業者に工事を発注した。
はたして床下から現れたのは、汚物の漏れた塊。目を覆いたくなる状況だ。
便器と汚水のトミジ管との接続不良。配管は、コンクリートのスラブ上で、
躯体に多少染み込んだ汚水だけで、下階に影響がなかったのは幸いだった。
‥なんてことだ、咲恵のせいではなかったのか。
些細な事が、強いはずの絆に亀裂を生んだ。悔やんでも、悔やみきれない。
涙ながらに訴える、上河内という男。
このとき、私の20年前の記憶が蘇ってきた。
( 上河内部長‥。工事管理部の上河内貞夫部長、じゃないですか。)
□ 06_01 □
「施工図は『見上げ図』になるんだよ!何度言わせんだ、このバカ野郎!」
おおよそ思いつかんばかりの罵詈雑言が、毎時間のように飛んできた。
「ったく大工に余計な手間かけさせやがって。栂池!てめーの責任だぞ。」
現場の次席・町木駿二の罵声に、私はすでに恐怖も反発心もなくしていた。
日頃の激務で疲労し、感情が麻痺していたのだ。
とくに昨日のガラ出しで、体も精神も極限の状態だ。
徹夜で仕上げた施工図を間違えたのは、そのせいだ。
コンクリのガラが詰まったガラ袋を20体、場外に一人で運び出したのは、
午後の5時からだ。職人は皆あがってしまう時刻。その時点で終ってない
汚れた仕事、チカラ仕事は新人監督がすることと、相場が決まっていた。
20年前。私は大卒の新入社員として、多田崎建設 に入社していたのだ。
現場の仕事は希望ではなかったが、それでも就職ができただけ幸運だった。
入社後、研修を経て配属されたのが、全48戸からなる新築分譲マンション、
『レジデンシャル菊名』という、この現場であった。
「バツだ。ホールインアンカー40発、打ってこい。午前中に終わらせろ。
たしか午後からは本社で『新入社員月例研修会』だったよな。おめー。」
各現場に配属されている工事管理部所属の入社一年目の新人は、毎月一度
渋谷の多田崎建設本社に呼ばれ、半日間の研修会に臨むことになっている。
現場でタガが外れていないか、定期的に監視することが目的であろう。
「高嶺所長からの言付けだ。今日は現場へ戻らず、寮に直帰していいとよ。
よかったなあ、栂池。同期とせいぜい楽しんできな。やさしい現場だろ。
いいか。くれぐれも、上河内部長には余計なこと言うんじゃねえぞ! 」
□ 06_02 □
現場のロッカーに吊っ放しのスーツを1ヶ月ぶりに着て、渋谷へ向かった。
午後1時半。多田崎建設本社7階、工事管理部第三会議室。
私と同期入社の沼井正一、林野玄太郎のふたりは、すでに席についていた。
もうひとり。米光了章はどうしたのだろう。
「米光は‥?」 シッ!と、すぐさま人差し指を口元に当てたのは林野だ。
そのとき、工事管理部の上河内部長が会議室に入ってきた。
「全員起立! 先代社主訓示、唱和!」
「先んずることが勝利である!」 ‥『先んずることが勝利である!』
「執念と気迫をもってすすめ!」 ‥『執念と気迫をもってすすめ!』
「数こそが豊さであると知れ!」 ‥『数こそが豊さであると知れ!』
「先人に学べ。道はひとつだ!」 ‥『先人に学べ。道はひとつだ!』
「よし、着席!」
工事管理部の部長・上河内貞夫は、東栄大ラグビー部OBの元ラガーマン。
恰幅がよく、威圧的な態度で押してくるタイプの人物。工事管理部では、
現場配属の人事権は全て、この上河内部長が握っているのだ。
「今日はこれから神谷部長の講義。主に労働安全衛生法に関してのこと。
その後、君たちにはレポートを書いてもらう。それから解散とする。」
神谷部長とは、工事管理部の神谷甲之助のこと。厚労省のOB。天下りだ。
講義は、睡魔に耐える地獄のような1時間半であった。
上河内部長のレポートのお題は 『自分が、この社に貢献できること。』
A4のレポート用紙を埋め尽くすことを要求された。地獄その2であった。
「このレポートは、私の方で確認しておこう。今日は皆、ご苦労だった。
‥
ところで、気がついたとは思うが、君たちの中にひとり落伍者が出た。
残念だが、彼は社に対する責任感も忠誠心も無くしてしまったようだ。
これは、社にとっても、彼の人生にとっても大きな損失だ。
残った君たちには、これまで以上に職務に邁進するように。以上だ。」
□ 06_03 □
研修会が終わるなり、私たち同期の3人は、居酒屋になだれ込んでいた。
乾杯のビールを口にすると、これまでの疲れがマグマの如く吹出てきた。
私はウトウトとして、沼井と林野の会話に耳を傾けるだけとなっていた。
「米光、どうしたんだろう。無断欠勤が続いているとは聞いてたけど。」
「彼の親友が突然、亡くなったんだよ。癌だそうだ。」
同じ東栄大出身で、米光と仲が良かった林野が続けた。
「アメフト部の同僚だったんだ、米光とは。
若いことが災いしたみたいだ。癌が見つかって、あっとゆう間だよ。」
「それで、人生観が変わっちゃったとでも‥?」
「そうなんだ、やりたい!と思ったことは、やろう!と決めたんだな。
米光、ミャンマーで学校を作る活動に参加しよとしたんだ。聞けば、
どうも前から関心があったようだ。せっかく建築学科も出てるしね。」
「へ‥、それで?」
「上河内部長に直接、相談にいったのよ。何年か休職させてくれないか。
米光としては、同じ大学のアメフト部のOBと元・ラガーマンだ。
理解してもらえるだろうと思ってたら、大変なことになっちゃった。」
「どうゆうこと?」
「上河内部長、烈火の如く怒ったんだと。会社ナめてんのか!‥って。
とばそうとしたんだ、あのリストラ部屋(情報管理室)へ、米光を。
それから、ずっと無断欠勤さ。退職届は、ミャンマーからかもね。」
‥‥
「米光はすごいよ。俺には無理だ、奨学金もあるし。沼井はどうだ?」
「オレは頑張って設計部にあがりたい。でも、あの上河内部長じゃあ
無理なのかな‥。栂池、おい栂池! おまえはどうしたいと思う?」
「‥オレは、今は何も考えられない。 ただ 2年間 だな。」
「なんだい、そりゃ?」
「一級建築士の受験資格で必要な実務経験年数だよ。大卒で2年間。
そこから考える。それまでは、生き残ることだけを考えてるんだ‥」
□ 07 □
室内点検2日目は、前日までとはうってかわって、爽やかな晴天となった。
午後3時には、Aチーム、Bチームとも担当する全ての住居内の点検を終え
エントランスに集まってきた。秋元くんも、少しほっとしたような笑顔だ。
「皆さん、この二日間の室内点検、お疲れ様でした。
秋元さん、栂池先生にもご尽力ありがとうございました。」
完成後一年点検全体を指揮する、Aチームの営繕部・前川が挨拶に立った。
「これで、レジデンシャル大岡山・完成後一年点検は全て完了しました。
点検報告書は、営繕部のほうで作成いたします。管理組合の高津理事長
へ提出の予定なのですが、提出の前に、秋元先生と栂池先生には報告書
それぞれお送りいたしますので、内容ご確認ください。 では、解散!」
「栂池さん。僕の仕事だったのに、感謝です。」「いいよ、楽しかった。」
「栂池先生。いろいろ、お世話になりました。今後とも、ひとつ宜しく。」
「栂池さん。今度、呑みましょうよ。ウナギイヌ刺身にね。 ヒッヒッ!」
「栂池くん!」
‥‥‥ん?
「栂池くん。ひさしぶりだ。元気そうでなにより。」
「上河内部長‥。覚えていてくださったんですね。」
‥‥
「昨日は惨めな醜態をさらしてしまったな。どうか、忘れてくれんか。」
喫茶店の小さな丸椅子に腰を下ろした、上河内さん。元工事管理部部長だ。
元ラガーマンの大きな体はそのままに、かつて工事管理部の人事を一手に
掌握した辣腕はもうない。威圧感もすっかり消え、白髪の増えた老紳士だ。
「あの702号室はね。退職金の一部として社から支給されたものなんだ。
汚水管の接続不良とは、明らかな我が社の施工ミス。瑕疵(かし)だ。」
本来は、新築工事業者の多田崎建設が、全て責任を負わなくてはならない。
ただ、瑕疵だと薄々気がついていた上河内さんは、あえて多田崎建設とは
無関係のリフォーム業者に、トイレの改修をさせたのだ。
人生の全てを捧げた建設会社。その建設会社の仕事による 瑕疵の疑い。
上河内さんのプライドが、目を背けさせた。そして大切なものを失った。
私たち二人だけの店内に、時計の音だけが響く。
‥‥
「じつは。思い出したんだ。君に返さなくてはならないものがあった。」
おもむろに、上河内さんは、カバンからクリアファイルを取り出した。
中には、A4のレポート用紙が一通。鉛筆の手書き文字で埋まっている。
「ああ。それは、あの月例研修会のときの、私のレポートですか?」
「そうだ。覚えていたね。ちょっとした タイムカプセル だな。」
上河内さんに、すこし笑顔がもどった。私も、つられて微笑んだ。
人の記憶というのは、じつに都合がいい。
たとえ辛かった時代のことでも、琥珀色に輝く宝物にしてしまう。
「でも、部長。決めたんです。」
クリアファイルから、レポート用紙を取り出しながらつづけた。
「私は、もう戻らない、と。自分の意志で生きていくと。」
レポート用紙を、千切る。2枚に、4枚に‥
思いのほか、上河内さんは、穏やかな目をしていた。
□あとがき□
一級建築士を取得するための、必要実務経験の年数。
法改正により、受験資格の用件ではなく、免許の登録用件となりました。
さいごまでお読みいただきまして、ありがとうございました。 岩間隆司