昨晩TVの情報番組を観ていると、直近に迫った米国アカデミー賞の発表に絡めてか
北野たけしさんが、ハリウッドの映画製作事情を解説していて、興味を持ちました。
ハリウッドでは、映画完成までの保険を担う保険会社が現場でハバを利かせていて
多くの場合、映画監督には編集権もないそうです。それじゃあ確かに、映画は純粋に
監督の作品とは言えませんね。
抗議の意味を込めて 監督自身が自ら編集し直した『ディレクターズ・カット版』を
発表することもあるとのこと。
『ディレクターズ・カット版』といえば、なんといっても
リドリー・スコット監督『ブレード・ランナー』でしょう。
近未来を描いたダークな表現は、それ以降の映像作品に大きく影響した秀作でしたが、
公開前は、映画会社側が、暗くて難解な作品でお客が入らないと判断したのでしょう、
主人公のデッカード(ハリソン・フォード)の独り言の風ナレーションで、わざわざ
語らせたり、取ってつけたハッピーエンドの結末があったりと、いささか軽い。
シンプルに編集された『ディレクターズ・カット版』こそ、正に作品といえましょう。
それ以降のリドリー・スコット監督作品は沢山見てきましたが、巨匠と呼ばれるよう
になるにつれ、独特の映像表現‥例えば、青い逆光で、あえてシルエットのみを浮か
びだしたり、NYの街のようにやたらスモーク焚いたり‥と、R・スコットっぽい作風
は影を薄めて、大作を撮るのに手慣れた ‘上手な映画監督さん’ という立ち位置に
落ち着いていったように感じています。少し寂しいですが。
アカデミー賞の作品賞に輝いた『グラディエーター』も、作品賞とほぼセットである
はずの監督賞には選ばれませんでした。
今年は新作『オデッセイ』(原題:Martian)も、作品賞にノミネートされてますが
監督賞にはノミネートすらされていないようです。
『オデッセイ』(原題:Martian)
火星にひとり取り残された科学者の救出劇ですが、個人的には幼い頃リアル・タイム
で体験した、アポロ13号の事故当時の巷の雰囲気を思い出しました。作品も、その
ストーリーから、ほとんど主人公(マット・デイモン)の一人芝居なのかと思いきや、
意外と登場人物が多く、みんな、ちゃんとキャラ立っている。特に宇宙船の女性船長
の判断力と行動力は、『エイリアン』『テルマ&ルイーズ』での女性像を思わせます。
そこはR・スコットさんっぽいところでありましょう。
ただ、展開が いささかオーソドックス。
観ていながら…。ああ、ここはスローダウンするシーンね、ああ、もう直ぐトラブル
が起こるのね‥と おおよそ展開が読めてしまいます。安心してハラハラ・ドキドキ
できてしまう訳ですね。(ちょっと、意地悪な言い方ですか。)
いろいろ批判めいたことを書きましたが、秀作であることは、間違いなし。
諦めない強い意思。 私も大切にしたい。