わたしのような者が、うかつに是非をかたるつもりではないこと。
ひとつご理解のうえ、ご容赦を。
アメリカ軍によるヴィン・ラディン容疑者殺害事件の詳細記事から
こっち、私はどしても連想してしまうことがある。
日本の江戸時代に起きた事件、赤穂浪士47人の吉良邸討ち入りだ。
(ちょっとまえにもふれたかな。)
映画やお芝居のシーンでみてとれる そろいのハッピや太鼓など
後世に伝わる 浪士47人のカッコいい討ち入りの演出はさておき、
武装集団が闇夜にまぎれ屋敷を襲い、マルゴシの老人を殺害した、
という事実だけをとってみると、今回の作戦と同じである。
しかも、どちらも入念な情報収集と計画性にもとづいたものだ。
この事実だけとってみれば、じつに卑怯な行為。
すくなくとも、武士道の精神からはほど遠いのではないか。
ではなぜ 赤穂浪士は テロリストではなく『武士の鑑』なのか。
もちろん『主君の仇を討つ』という 大義 があったからだ。
大義(正義)といのは むつかしく とても おそろしいものだな。
今年の大型連休 ようやくと穏やかな日がおくれる。
うららかな朝に ゆっくりと新聞をひろげ おもいをめぐらす。