『平成』という時代が始まる前年、1988年。
西欧の建築を、時間をかけて見てまわりたい。そんな我儘を聞いてもらい
私はBさんの事務所・B建築設計を辞めさせてもらった。26歳の時でした。
Bさんとの出会いは その2年ほど前。
大手建設会社の現場監督の仕事に嫌気がさし、私は転職先の設計事務所を
探していました。そんな矢先、地元では有名なBさんに声をかけられます。
大酒飲みで女にだらしなく、胡散臭い人物との付き合いもうかがえます。
仕事といえば、建売業者の下請や建築確認の代願まで、拘りなくなんでも。
二の足を踏みましたが、飛び込んでみることにしました。大正解でした。
ネットもPCもCADもない時代。作図作業はもっぱら製図台とドラフター。
フォルダー一本で描くBさんの図面は、まるで水墨画のような濃淡が付き繊細、
大胆な構図は説得力に満ちている。Bさんは技術者としては、正に一級でした。
叩き込まれました。ただ、技術が自らの血肉になっていく実感は楽しかった。
私は一級建築士の資格を取得できました。
時代は『平成』へ
私も独立し、インターネットのおかげで、多くの仲間や仕事を得てきました。
ただ、『昭和』の匂いのするBさんのような建築屋はもういません。
(ちなみに Bさんのカラオケのオハコは 千昌夫の『味噌汁の歌』)
先日
建主の方から、とある名前を聞きました。その方から住設器具を入れたいと。
B建築設計時代の協力業者さん、Bさんの仲間のおひとりです。
その仕事、なんと電気設計をお願いする予定の業者さんもB建築設計時代の
仲間だったとわかり、思わず打合せでは当時の苦労話しに花が咲きました。
時代はかわれど
人との繋がりの大切さ、感謝の気持ちを忘れないでいたい。
空の上へ。 ありがとうございました。生きています。