2018年12月30日日曜日

この30年



『平成』という時代が始まる前年、1988年。
西欧の建築を、時間をかけて見てまわりたい。そんな我儘を聞いてもらい
私はBさんの事務所・B建築設計を辞めさせてもらった。26歳の時でした。

Bさんとの出会いは その2年ほど前。
大手建設会社の現場監督の仕事に嫌気がさし、私は転職先の設計事務所を
探していました。そんな矢先、地元では有名なBさんに声をかけられます。
大酒飲みで女にだらしなく、胡散臭い人物との付き合いもうかがえます。
仕事といえば、建売業者の下請や建築確認の代願まで、拘りなくなんでも。
二の足を踏みましたが、飛び込んでみることにしました。大正解でした。

ネットもPCもCADもない時代。作図作業はもっぱら製図台とドラフター。
フォルダー一本で描くBさんの図面は、まるで水墨画のような濃淡が付き繊細、
大胆な構図は説得力に満ちている。Bさんは技術者としては、正に一級でした。
叩き込まれました。ただ、技術が自らの血肉になっていく実感は楽しかった。
私は一級建築士の資格を取得できました。


時代は『平成』へ
私も独立し、インターネットのおかげで、多くの仲間や仕事を得てきました。
ただ、『昭和』の匂いのするBさんのような建築屋はもういません。
(ちなみに Bさんのカラオケのオハコは 千昌夫の『味噌汁の歌』)


先日
建主の方から、とある名前を聞きました。その方から住設器具を入れたいと。
B建築設計時代の協力業者さん、Bさんの仲間のおひとりです。
その仕事、なんと電気設計をお願いする予定の業者さんもB建築設計時代の
仲間だったとわかり、思わず打合せでは当時の苦労話しに花が咲きました。

時代はかわれど
人との繋がりの大切さ、感謝の気持ちを忘れないでいたい。
空の上へ。 ありがとうございました。生きています。