昨日夕方、FMの番組で『縁側』の話をしていました。
昨日は『昭和の日』
縁側は、たしかに昭和の時代から消えたものの ひとつ です。
住宅にある 縁側 とは、内部空間とも 外部空間ともいえない、
プライベートな空間ともパブリックな空間とも 区画がつかない、
生活空間の中では 曖昧な中間領域 といえる部分でしょう。
元来、日本人の空間や形体のあり方を規定する考え方に、ひとつ
真(しん)・行(ぎょう)・草(そう) という階層があります。
例えば、キチンと認める真書体。砕けた走り書きのような草書体。
その中間として 行書体 という書体が存在しています。
内部と外部、プライベートとパブリックの中間ともいえる縁側は、
いはば、行(ぎょう)の空間 ということが、いえるのでしょう。
行(ぎょう) とうは どちらともつかないありよう‥。
空間や時間、人間関係でも曖昧さを受け入れているかのようです。
この縁側が消えつつあることは、住宅の形態のみならず、日本人
の生活意識までも変わってきたようで、すこし寂しいところです。
さて、プライベートとパブリックの中間。といえば
わたしはよく、電車内 を 思い浮かべます。
車内では、小さく折り畳んだ新聞を読むのが精一杯。の時代から
昨今では、ゲーム、飲食やお化粧までしていて違和感ありません。
中間というよりは、プライベート空間のほうに軸足が傾きました。
スマホなどの 携帯端末 の影響が大きいのは想像できるところ。
これは ぎゃくに 昭和の時代 にはなかったもですね。