2014年4月30日水曜日

縁側があった『昭和の日』


昨日夕方、FMの番組で『縁側』の話をしていました。
昨日は『昭和の日』
縁側は、たしかに昭和の時代から消えたものの ひとつ です。

住宅にある 縁側 とは、内部空間とも 外部空間ともいえない、
プライベートな空間ともパブリックな空間とも 区画がつかない、
生活空間の中では 曖昧な中間領域 といえる部分でしょう。

元来、日本人の空間や形体のあり方を規定する考え方に、ひとつ
真(しん)・行(ぎょう)・草(そう) という階層があります。
例えば、キチンと認める真書体。砕けた走り書きのような草書体。
その中間として 行書体 という書体が存在しています。

内部と外部、プライベートとパブリックの中間ともいえる縁側は、
いはば、行(ぎょう)の空間 ということが、いえるのでしょう。
行(ぎょう) とうは どちらともつかないありよう‥。
空間や時間、人間関係でも曖昧さを受け入れているかのようです。
この縁側が消えつつあることは、住宅の形態のみならず、日本人
の生活意識までも変わってきたようで、すこし寂しいところです。

さて、プライベートとパブリックの中間。といえば
わたしはよく、電車内 を 思い浮かべます。
車内では、小さく折り畳んだ新聞を読むのが精一杯。の時代から
昨今では、ゲーム、飲食やお化粧までしていて違和感ありません。
中間というよりは、プライベート空間のほうに軸足が傾きました。

スマホなどの 携帯端末 の影響が大きいのは想像できるところ。
これは ぎゃくに 昭和の時代 にはなかったもですね。