2010年8月25日水曜日

高気密家族 <Fiction>

あつい。
よりによって熱帯夜が14日もつづくさなか、頼りのエアコンが故障している。
事務所を兼ねた15坪ほどのボクのこの部屋は、灼熱の夜が数日間続いている。

作業を一段落させ、ペンたてから なにげなくひろいあげた うちわ。
数年前 大手住宅メーカー『ヒガホーム』が住宅展示場で配っていたものだ。
『 自然にやさしい 家族にやさしい エコ住宅 』
キャッチコピーの手前では、ドラマで馴染みの俳優に売出し中のアイドルが
家族にふんし、記念撮影よろしく、こちらに向かって微笑みかけている。

そして、ボクの今の仕事がこの『ヒガホーム』の下請け図面屋というわけだ。
始めたのは5年前の春、一級建築士事務所として独立してからすぐだった。

企画営業部のフクニシが、『ヒガホーム』に住宅建築を依頼してきた建て主
から要望を聞き、それを図面にする。ボクが建て主と顔を会わすことはない。
長期優良住宅申請と建築確認申請のための図面もつくる。申請作業そのもの
と構造計算は、また別の外注先があるようだ。
CADは専用の汎用CADで、7年間のローンを組まされている。逃げられない。

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From:  bokuchan※※※@gmail.com
Subject: Re: F様邸・平面詳細図-1
Date: 2010824 22:53:36:JST
To:   fukunishi@higa※※※.com
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 ご指示の平面詳細図の修正、送信いたします。
 添付です。

‥return!送信完了。
今晩の仕事はここまでとしよう‥。缶ビールのプルトップに指をかける。

久しく開けたことがない窓からの風。外はまだ暑い。ただ、意外なほど静かだ。
もとより二世帯住宅として建てられたこの住いには、この時間にはボクの他に
もうひとり、そう父が居るはずなのに‥

 □□

5年前の春
『ヒガホーム』の下請けの仕事を取ってきたのは、他ならぬボクの父だった。
父は大手住設l家電メーカー『ハルピオン』の営業部課長。贔屓の得意先である
『ヒガホーム』の専務に、建築家としてまだ仕事もないボクを売りこんだのだ。

「住宅メーカーの下請け仕事だなんて‥。」
内心抵抗もあったボクとはうらはらに、自らの営業手腕で大手の仕事を息子に
発注させた父は、得意げだった。
母が亡くなってから、まだいきつけないスーパーでワインを買ってきてくれた。
「‥どうだ、なかなかだろ。」
普段は無口な父の笑顔に、ボクもいつしか付き合っていた。


『ヒガホーム』での、はじめての仕事は、新婚ご夫妻の新築住宅だった。
意気込みもあったボクは、大岡山にある30坪程の計画地に足をはこんでみた。
すでに更地になっている敷地の東側隣地に、立派な桜の大木が咲き誇っている。
越境した枝振りを借景として、住宅の内部から見せない手はないな…。

施主が希望として方眼紙に描いてきたスケッチをもとにした計画・A案と共に
ボクが独自に考えてみた計画・B案も一緒に、担当のフクニシさんに送信した。
B案は、汎用CADでなく、Vector Works をpdf変換したものとした。


フクニシから返信があったのは、翌週の月曜日だった。
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From: fukunishi@higa※※※.com 
Subject: Re: H様邸・計画案
Date: 20054※※ 13:12:11:JST
To:   bokuchan※※※@gmail.com
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 明日午前10時、当社東京支社までおこしください。
 おはなしがあります。

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フクニシとともに、社で待ち受けていたのは、企画営業部長サワタリだった。
恰幅のあるダブルのスーツ。名刺には一級建築士・管理建築士とある。つまり
ヒガホーム東京支社の設計・施工の物件はすべて、建築確認申請上の設計者は
この サワタリ ということだ。
 
初対面の挨拶も早々にソファアに腰をおろすと、サワタリの表情が一変した。

「フクニシによるとさ。お姑さんがえらい気ぃわるくしちゃったそうじゃない。」
「‥は?」
「自分たちの要望、聞いてくれないんじゃないかって。
 いいのよ、嫁さんの言うように和室と収納、たっぷりつくってあげりゃあさ。」
「‥でも、せっかくの桜が。」
「桜はさ、フクニシが交渉して切ってもらうことになってるの。超えてる部分。
 だいたい花弁どうすんの。ドレンが詰まってメンテがどれだけたいへんか…。
 それと、この大開口。Low-E のペアガラスでいくらすんの。困るのよウチの
 規格部材でやってくれなきゃ。カネ決まってんのよ。契約も。」

‥なさけなかった
ボクが、じゃない。
この会社では、お客さんにたいして管理建築士が重要事項説明もおこなわずに
契約まで全部、営業に丸投げしているのだ。この サワタリ という人物には
技術者としての自負はないのだろう…。


サワタリ部長との一件は、その日の晩には、すでに父の耳に届いていた。
当番の食事のあとかたずけをしていたボクの背中に、父がつぶやいてきた。
「どうなんだ‥。」( ‥せかく紹介した得意先を、なぜさかなでするんだ。)
父の真意はわかっていた。ただそのとき、ボクには反論する情熱がうせていた。

すれちがったまま、ボクは玄関脇のボクの部屋のトビラをパタンと閉じた。

それから まる5年。
ボクと父は 全く顔をあわせていない。

 □□□□

父がこの二世帯住宅を建てたのが11年前。やはり『ヒガホーム』のシリーズだ。
当時のうたい文句が 『高気密・高断熱』。二世帯はライフラインの計量も別。
戸境壁にはご丁寧に、遮音シートまで仕込んでプライバシーが確保されている。
3年前にはボクは事務所もここに移した。
ふたつの住居を隔てるトビラの前には、いま、複合機が置かれている。
父はどうしているだろうか。もう定年退職は、しているはずだが‥。

ちっりん ちりっん りりん‥
風鈴かぁ めずらしいな。

意外なほど静かだ、と思っていた、都会の夜にどこからだろう…。
たまには、窓をあけてみないと わからないこともあるもんだな。


mail がとどく。
エアコンのことお願いしていた業者さん『空調王国』のカメナリさんからだ。
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From:  kame_san@qoochou※※※.com
Subject: Re: エアコン工事のけん。
Date: 2010824 23:49:36:JST
To:   bokuchan※※※@gmail.com
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 やっはり、取替だね。
 『ハルピオン』の製品がいいとおもうよ。
 見積添付しました。請求は事務所宛かな。
 工事は明日です。
 明日から、また快適な晩がすごせますよ。


おわり。

この文章はフィクションです。
登場人物、設定は全て架空のものです。