今日の武道館の高額チケットは、さすがに買えませんでしたが。
ポールのこと。ふたたび。
今回のポールの来日公演は 東京ドームの初日2015.4.23. でした。
それ以前に、私が聞けた生ポール・マッカートニーとなると 一度だけ。
‥昨年2014は 国立競技競技場の入場口までいって、突然の公演中止。
‥その前年2013は、残念ながら都合がつかなくてコンサートに行けず。
今からちょうど25年前、1989-1990のワールド・ツアーでの来日でした。
バンドのメンバーに、まだリンダさんが元気に参加してて、ウチノカミサン!
とポールが紹介していたの覚えています。
当時のチケット半券とプログラムが出てきたので、少し懐かしんでみました。
The PAUL McCARTNEY World Tour
1990.3.5.東京ドーム 1階 41通路 32列 368番
4:30P.M.開場 6:30P.M.開演 S=¥7,000
たしか3塁側で、ちょっと良い席でした。
プログラムのポートレートと今回のそれを見比べると、あらためてびっくり。
当時から25年を経た、いま70代のその若々しさです。
コンサートでのパフォーマンスも、ゆうに及ばず。
当時のライブアルバム(Tripping the Live Fantastic)は iTunesに入って
たので、今回の〝予習〟はできてましたが、そん色なし。いや、それ以上に
ミュージシャンとして、人として、輝きを増していってるようにも感じます。
足元にはおよばずとも、生きかたとして、私もかくありたい。そのためには、
まずは 健康・節制 かな。
私がビートルズやメンバーの音楽にハマっていたのは中学生の頃、70年代です。
60年代のリアル・タイムからは外れますが、70年解散後のこの頃のメンバーの
楽曲もハジけていて、かなりイケています。
私が始めて買ったアルバムが、解散後ポールが結成したバンド、ウイングスの
Band On The Run でした。今回のコンサートでも、タイトル曲を含めて3曲
このアルバムのナンバーだったと思います。
60年代後半から70年代、巷ではベトナム戦争への反戦の機運。
その頃、カンボジアという国では、戦争のため駐留した米国軍が撤退する隙を
つくかたちで、市民の大量虐殺で悪名を残したポル・ポト政権が樹立します。
『キリング・フィールド』という映画。
戦火の混乱から逃れることができた新聞記者(後にピュリッツァー賞受賞)と、
過酷な共産主義社会の中へ投げ出されたその現地通訳との、友情の実話でした。
彼らが感動的な再会をはたす ラスト・シーン
BGMは ジョン・レノン の Imagine です。 ぴったりです。
Imagine there’s no countries
It isn’t hard to do
Nothing to kill or die for‥
その物語の前半のあるシーン。
破壊された都市の中を走る軍用車の、感度の悪いラジオから流れていたのが
この ボールの Band On The Run だったのを覚えています。
軽快な曲調であるがゆえに、悲惨な光景が焼きつきました。
ビートルズやメンバーのナンバーの 私のひとつの思い出です。