2014年11月14日金曜日

人として。建築家として。

昨晩は有楽町よみうりホールにて、建築家・内藤廣講演会 『3.11以降の建築』
(東西アスファルト事業協同組合・田島ルーフィング主催)

内藤先生の、東日本大震災の復興へ向けた活動を通し考えてこられた内容です。
建築家が、その作品に作家性を追い求める行為。
それが、文化や経済を動かす、ひとつのファクターであったことは認めつつも、
目の前に広がる被災地の復興の手助けとして、人として何をするのか、という
現実との乖離に、葛藤されていた、ということ。

私は、内藤先生のように復興への大きな手助けができるわけではありませんが、
建築家が、その作品に作家性を追い求める。という仕事への、違和感を感じる
ことは、(被災地ではない)日常の風景の中であっても、ときどきあります。

簡単に答えが出せるものではない、と言われつつも。
ひとつ、これかな。と 例に出された被災地福島県の建築『福島県教育会館
(設計は、当時前川事務所に在籍されていた大高正人氏。)
バルコニーから眼前の阿武隈川をのぞみ、背景の山並みにとけ込むシルエット。
構造や機能のシンプルな構成‥。絶賛されていました。(私も訪れてみたい。)

ただ、その内藤先生の感動とは
私が、内藤廣作品『安曇野ちひろ美術館』に感激した内容に通じることにも
気がつきます。葛藤のこたえの一部は、ご自身の内面にすでに存在していた
やに、思えてくるのです。


講演会をあとは、有楽町駅から新橋駅まで、JRのガード添いに歩いてみる。
ガード下の飲みや街も風景が変わった。バリケードされた空き空間が目立つ。
バブルの頃には隠れ家的なクラブもあったな。ハメを外したことを思い出す。
ただ今日は、ちょっとだけ吞んで帰るとしました。