2014年7月29日火曜日

木造耐火建築物による都市型集合住宅計画

メンブレン耐火構法による木造耐火建築物の共同住宅計画。
大臣認定構法により主要構造部に耐火性能を持たせる構法。
木造軸組はSE構法を予定しています。

この構法の場合、設計者や施工者は
大臣認定を持つ木造住宅産業協会のセミナー受講が必須です。
私も受けました。
施工は非常に難儀です。設計上の制約もいろいろあります。
それでも、RC造よりコスト・コントロールはできています。
挑戦するに あたいします。 


2014年7月28日月曜日

なんちゃって・世界ネコ歩き


この時期でも、公営プールの夜の部がお休みとはこまった。
体力づくりの習慣にしてる水泳は、今日はウォーキングヘ。
道すがら ネコたちに挨拶。
食事はあげないことにしているが、その心配はなさそうだ。



2014年7月27日日曜日

『デザイナーズ』なんて、いらない。


埼玉県立近代美術館での企画展
戦後日本を代表する16人の建築家とその住宅作品を紹介した企画展です。
東孝光氏の『塔の家』や、安藤忠雄氏の『住吉の長屋』といった、すでに
一般的にも知られた住宅作品も、たくさん紹介されています。
全て90年代のネット革命以前に建築された作品であり、それぞれの住宅に
単なる表層のデザインとは言い切れない、哲学があることはわかります。

ネットによる情報活用が普及した90年代、建築家が住宅や集合住宅の計画
をおこなえるチャンスは増えました。(私も、その恩恵を受けてきました。)

そんな住宅や集合住宅作品に 『デザイナーズ』 という枕詞がつきました。
たとえば、この『デザイナーズ』を付加価値として差別化された集合住宅が
『デザイナーズ・マンション』といわれました。
賃貸集合住宅の市場に新たに生まれた需要のように捉えられていましたが、
実際には潜在的にあったニーズが、ネットによって詳らかになったものです。
2000年前後 私も『デザイナーズ・マンション』を手がける建築家、として
主に雑誌媒体から沢山の取材を受けました。それ自体は、ありがたいことと
感じていましたが、同時に なにか違和感 も覚えていました。

『デザイナーズ』を簡単にいってしまうと、個性的 ということでしょうが、
別に、個性的な集合住宅を作ろうと設計していたわけではありませんでした。

与えられた条件のもと、可能な限りの事業性・効率性を突き詰めて計画する
ことで、結果的にそこに個性が生まれ、付加価値となっていっただけでした。
事業性を突きつめると、住宅メーカーの規格品のような商品にはなりません。

あるいは
『デザイナーズ・マンション』の代名詞のように扱われた、コンクリートの
打放し仕上げにしても、そのテクスチャーとしての好みというよりは
(もちろん、入居される多くのテナントさんも私も、大好きな素材ですが。)
コストの関係から、むしろ、やむなく選択する素材 とした意識でした。
『塔の家』や『住吉の長屋』のコンクリート打放しも、同じ発想でしょう。

こうなると、個性 とは、本当はなんなのか。考えてしまいます。

養老孟司氏の新書「自分」の壁 でも、個性とは何か。語られています。
伝統芸能の世界に入門した弟子は、とにかく師匠の真似を強いられます。
10年、20年‥。
それでも師匠のクローンにはならない。どこかがどうしても違ってくる。
それが 個性 である、と。
‥なるほど。

個性とは
単に付け加えるものではなく、研鑽や修練の末に生まれるもののようです。
『デザイナーズ』という言葉で個性を表現すること。もう、やめませんか。


2014年7月25日金曜日

戦後日本住宅伝説

埼玉県立近代美術館にて。 
戦後日本を代表する16人の建築家とその住宅作品を
作品写真や図面、映像、模型などで紹介する企画展。

住宅建築を すまい という観点で眺めますと‥
住人(家族)の成長や生活の変化の 見える変遷と表現されたり
 清家清 私の家
 増沢洵 コアのあるH氏の住まい ‥など
外界と切り離された 非日常なアミューズメント空間 としたり
 原広司 原邸
 石山修武 幻庵 ‥など
切り口は多彩で、面白い。

メタポリスム運動のハタデともいえた お二人の作品が対照的だ
 黒川紀章 中銀カプセルタワービル
 菊竹清訓 スカイハウス
メタポリスム、とは新陳代謝。変化に応じて、建築も変化・成長
していくことを目指したものだったと理解しますが。
中銀カプセルタワービルでは、結局 住居ユニットが交換される
ことはなかったんじゃないかな…。
スカイハウスは 家族の変化に応じて増改築のストーリーを提示
できている点、成功といえるのかもしれません。

戦後の住宅作品 といいいながら
気がつくと 最新作でも1978年作(宮脇檀 松川ボックス2期)
バブルも IT革命も未経験の、いはば古典の作品集ともいえます。
それでもインパクトが色あせないのは、建築家がつくる住宅作品
には、普遍的なメッセージがあるからでしょうか。
とくに
 東 孝光 塔の家
 安藤忠雄 住吉の長屋
今では誰もが知るこの住宅は、まだまだ私の目標です。

埼玉県立近代美術館のある 北浦和公園の一角に
中銀カプセルタワービル の住居ユニットが置かれています。
アートのようでもあり、惑星に降り立った宇宙船のようでもあり
かわいらしい。

蛇足ながら
黒川紀章氏設計の この埼玉県立近代美術館。
もすこし メンテナンスしてあげてほしいな。


2014年7月23日水曜日

情景

旧東海道沿いの すずしげな品川寺
夕方は提灯の灯り 華やかだろうか。


2014年7月21日月曜日

『ロー・コスト住宅』 ってなんだ。


『ロー・コスト住宅』 という言葉があります。
計画段階の住宅や集合住宅の、カテゴリーのひとつですが
私はつねづね、この専門用語に 違和感 を覚えています。

特定の条件で、特定の性能や規模の住宅を計画するうえで
コストをローに(低くするように)努めて計画することは
言わずもがな の 必須の条件だと考えているからです。
それが証拠に
『ロー・コスト住宅』の反意語として『ハイ・コスト住宅』
なんて言葉 は ありませんよね。

一般的にいわれる 『ロー・コスト住宅』 とは、いはば
『ロー・スペック住宅』 ということでしょう。
この 物言い のほうがスマートです。

コストをローにするための工夫(‥コスト・コントロール)
私は こんなふうに考えています。

A という商品があります。 価格は 50万円 です。
B という商品があります。 価格は 50万円 です。
A と B をひつつづつ 買ったらいくら? ‥100万円ですね。
では ここで
A と B をひつつづつ 買うのをやめて
A  をふたつ買うことにしたら いくら? ‥100万円?ブー!
100万円 以下にできます。これが コスト・コントロール。
ちなみに
A は、モノとしての商品に限らず、構法、人件費(人工)など
コストの関わるいろいろな事項に置き換えることができます。
数量ではなく 項目を減らすのです。

100万円 から 実際にどれだけリーズナブルにできるか、は
工事を請負う施工業者さんそれぞれの 腕の見せ所。
そして
この A をいかいに多く作れるかが、我々建築家の腕の見せ所
であり デザイン という作業の一部であると考えています。

コストをさげる工夫 というのは
なにかを犠牲にする ということでは、ないはずです。

『Less is More』(より少ない は よりゆたか)
建築家 ミース・ファン・デル・ローエ の思想です。


2014年7月20日日曜日

腕時計とウェアラブル端末


‥ところで、腕時計って どうッスか?
馴染みの理髪店で 若い店主から ふられた。

‥この話題に食いつく男子、けっこういるんスよね。
散髪中のお客を楽しませる話題作りは、サービス業としての心得。
ただ彼の場合、自身の興味ごとしか話さない、商売っけのなさが
好感のもてるところ。

‥ ・・・いやぁ。オレは だめだなあ。
この話題には、まったくひっかからない。腕時計はしない。
理由はふたつ。
長袖シャツの袖口がいたむことと、キーボードなどPCの操作の
とき、腕に重さを感じるため。

むかし、懐中時計 は使っていました。
西部劇によく出てくる、丸くて片手でパカッと蓋を開ける代物。
ジーンズ党の私は、右手側のちっちゃいポケットにしのばせて
チェーンをベルトに巻きました。真偽の程は別に、このポッケ。
本当に懐中時計のためのものだったと、聞いたことがあります。
時間を確認するたび、C.イーストウッド になった気分でした。
ただ 残念ながら
イーストウッド氏はまだまだ現役であっても、私の懐中時計の
ほうは、携帯電話の出現で、あえなく隠居の状態にあります。

‥ロレックス とか オメガ とか、日本人だけらしんスよ。
 ○○ ってメーカー とか、いいらしんンスよねえ。
聞けば
自身でも奮発して 海外の腕時計を 買っちゃったということ。
うらやましい と思いました。
高級品を持っている。ということではなく、夢中になれるモノ、
こだわりが持てもモノがある、ということに‥。

さて
こんなやり取りがあって 数日のち。
私が腕時計をしない。という もう一つの理由が浮かびました。
『時間』からの “拘束感” です。
 つまり、時計という『機械』ではなく 
『時間』そのものに 手首を掴まれている。 という感覚です。
そんな無意識を、片方の無意識が拒絶しているのではないのか。

スマートフォン の次ぎにくる ネット端末(デヴァイス)が
メガネ型、腕時計型、といったウェアラブルなものになること
は わかっています。
これまでのような “インターネットへの依存”という領域から
“インターネットからの拘束” という意識へと(わるい意味で)
ヴァージョン・アップしてしまうのではないのか‥。
そんな よからぬ想像をしてしまいました。

2014年7月18日金曜日

不思議 Photo

Macユーザーの私は、スマホだけは Xperia を使っています。
モバイルSuica とカメラの精度が気に入っているからですが
ときどき、意図しないショットが撮られています。

これは なんだろう‥。 不思議なのでUp


2014年7月16日水曜日

SOHO


SOCIUS SOHO は、私が所有・管理する賃貸集合住宅です。

その名の通り SOHO (Small Office & Home Office)の仕様。
これまで 個人のクリエーターや ミュージシャンの方にも 
入居いただいてきました。
一室は現在 私の建築の仕事を手伝ってくれるJさんの部屋。

他の一室が 空室となりました。
住むだけ、事務所だけでも もちろん よし。
入居ご希望の方 おりましたら ご連絡ください。


2014年7月15日火曜日

政府介入に『レッドカード』


ドイツ W杯優勝 おめでとうございます!
試合の各所は、目ぼけ眼でTV観戦。
日本代表の早々のGL敗退は残念でしたが、かえってリーグ戦
あたりから、客観的に各国のプレーを楽しむことできました。

(西)ドイツを旅したのは1988年 壁崩壊の前年のことです。
各地の地ビール、モーゼル・ワイン、とともに印象に残るのが
ウォオホールやK・ヘディングなど、各美術館のコレクション
に現代美術(特にポップアート)の作品が、じつに多いこと。
これは、ナチ時代、政府が写実的表現や古典絵画を重用して、
抽象的表現の現代絵画やその作家を弾圧してきた歴史に対する
自戒の念が、国民感情の中に深く根付いているからであるのは
旅の者にも、すぐに理解できました。

国際サッカー連盟(FIFA)は ナイジェリア のサッカー連盟
(NFF)を資格停止処分にしました。同国政府が、人事のこと
などでNFFに介入したからだそうです。FIFAの致し方ない判断。
サッカーが、政治利用される可能性がありますからね。
ナイジェリア といえば
武装集団が少女達を誘拐していたり、テロ行為が頻発したりと
国内の悲惨な紛争情報の反面、このW杯大会にも出場しました。
政治や紛争と、スポーツとは別物。
その象徴のように思えてただけに、残念なことです。

 芸術などの自己表現 や スポーツに
(必要以上に)政府が介入する。ということは 
 野蛮な行為だと 私は考えてます。

フジTVの月9の新ドラマ 『HERO』
キムタク主演の続編だそうですが、文部科学省がタイアップを
発表しました。 “道徳教育” に取り入れるのだそうです。

作品そのものは良作で、一生懸命つくられたものだと感じます。
それでも
フジTVの番組を観るのを、しばらく自粛しようと思います。


2014年7月11日金曜日

新国立競技場のこと ふたたび


迷走「新国立」の行方 と題し、新国立競技場の建替計画の是非を
めぐる記事が『日経アーキテクチュア』7-10号に掲載されてます。
6/14 新国立競技場の基本設計に関する 私のここのコラムにも
たくさんのアクセスをいただきました。再び触れることにします。

2020東京五輪のメイン会場となるべく新国立競技場計画への批判
は 大別しますと
イニシャル・ランニングともかかる莫大なお金と 景観の問題です。


コンペで示された予算が 1300億円、ザハの採用案は 3000億円
『日経‥』の記事によりますと。
コンペでは一次審査に先立ち技術調査が実施され、提出された案が
1)実現可能 2)計画段階で重大な調整が必要 3)明らかに実現不可能
の3段階で評価されたそうです。
確認には、積算(見積りのことでしょう)の専門家も確認しており、
ザハ案は 2)計画段階で重大な調整が必要 となったでしょうか?

ザハの計画案は、躍動感がある造形でかっこいい。と私も思います。
ただ
この時点で、この案は予算のフライング。と判定されるべきでした。
日頃、厳しい予算で仕事してる身としては、こだわってしまいます。


景観の観点からの批判の旗・建築家槙文彦氏のコメントにも注目。
ただ、他のどのコンペ案にも、伊東豊雄氏の改修案にも、微妙に
距離をおかれた発言に、正直 私は違和感も覚えるところです。
いち論客としてでなく、建築家としての 提案 を見てみたい。 
たとえば、議論の呼び水となるべくコンセプト案でも。


1964年 の 東京オリンピック。
壮大な東京の開発は 功罪 ともにあったと思います。
罪の部分に思い当たるのが、首都高速道路の高架による景観破壊。
かつて江戸(東京)は運河による水上交通網の街でした。
土地の収用をせず、てっとりばやく首都高速道路をつくるために、
運河の上に高架橋を渡しました。運河は暗渠になりました。
その景観破壊のありようは、日本橋の情景が象徴でしょう。
これは、昨今ようやくストップの機運が出てきた 町中の電柱と
存在が似ていますが、こういった『手っ取り早くの利便性』から
経済発展の豊かさを享受してきた世代としては、いささか複雑な
気持ちにもなります。

50年後のいま
景観という観点で、公共物の議論ができることの健全を感じます。

ただ、五輪招致 =公共工事 =経済効果 という意識は根強く、
五輪計画に絡む情報のそこかしこに、いまでも垣間見えます。
たとえば先月、都知事が会場計画、一部見直しを発表しました。
五輪のために新設する競技場を一部取りやめるということですが、
裏を返せば、コンパクト五輪といいつつ無駄な施設工事もあった
ということでしょう。釈然としません。

コンパクト より リーズナブルな五輪 というコンセプトでも
よかったでしょう。


トランセンデンス


ジョニー・デップの『トランセンデンス』
『ダーク・ナイト』シリーズのクリストファー・ノーラン監督の
お弟子さんの作品らしい、スタイリッシュな映像と世界観ですが
残念ながら 内容はイマイチでした。

コンピューターやプログラムが意思をもち、生身の人間と対峙する。
この近未来の設定は、すでに古典的だというヒニクに気がつきます。
私が思う最も古典作は キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』
HALという、意思をもつ宇宙船内のコンピューターが反乱します。
…ちなみに HAL とはIBMのスペルをひつつづつずらしたもの。
 いまこの作品作ったら Bqqmf  とか Fnnfkd になるのかな‥。

もうひつとつはCG。
ノーラン監督は『インセプション』でも、極力実写による撮影方法
こだわってた様子を めざましTV で見た覚えたがあります。
目に見えないサイバー空間との対決ですから、徹底してアナログな
表現もよかったんじゃないかな。CG表現には、驚かなくなりました。

これはもう
新しいものは すぐに 古びてしまう。ということの象徴でしょうか。
映画は夫婦愛の物語です。盛り上がってるカップルにはおすすめかな。


2014年7月9日水曜日

自分たちの‥ ありのままの‥ 建築


『自分たちのサッカーができなかった‥。』
ブラジルW杯、GL各試合直後のインタビュー
残念な結果に向けた日本代表選手の弁に、批判的な記事がある。
なにかの決まり事があるのかもしれませんが、監督や選手達に
敗戦直後に、マイクを向けるのはちょっと 酷 じゃないのか。
努めて感情的にならず、絞り出すように答えたコメントに批判
するのも気の毒かと、いささか同情することろもあります。

でも、やっぱ おかしい。

サッカーは試合だ。試合は勝つためにする。
勝つために なにをするか。
日本人の身体は、タッパはないけどアジリティーに優れている。
組織の規律を重んじるメンタリティーもある。
そこを活かしたパスサッカーで勝つ。そこが目指す戦術である。
自分たちらしいか否かは 結果であって、目指すものじゃない。
客観的に表されるもので、自らいうものじゃない。

アナ雪の Lit It Go~ありのままで~ とかさなりあった、巷の
自己肯定感の空気 は、たしかに ちょっと くすぐったい。

‥ソキウスさんらしい、シンプルなデザインで いいですね。
私の建築でも、そんなふうに褒めていただくことがあります。
ありがたいこと。 素直に うれしいです。
ただ当人からすれば、住宅や集合住宅の設計とは、状況と戦う
ことに、ただただ必死なだけで、なにをもって自分らしい作品
なのか、よく わかってません。

それで よいのかもしれません。

2014年7月8日火曜日

思い通りにならないことを楽しむ。‥Mac ‥建築


Mac Book が起動しない。ちょうど一週間前の火曜日の夜。
起動ボタンでリンゴが出現しても クルクル‥のまんまだ。
またしても、システムのトラブルか…。

自分で何とかできないレベルと悟り、Nさんに電話を入れる。
Nさんは邦楽器職人でありながら、Macのスキルは半端ない。
年始早々にもiMacのトラブルを救ってもらったばかりである。
ありがたい。

Nさんと電話のやり取り。再起動を繰り返すも、やはりだめ。
モニターに進入禁止のマークが現れたのを、はじめて見た。
(‥あとから聞くに、この時点で相当ヤバいことだそうだ。)

次の水曜日は 予定の仕事をやめて、朝一 Nさんの工房へ。
外部HDから立ち上げてデータを救出、システムを入れ替える
という、いはばオーソドックスな復旧作戦をしてみることに。
iMacのときと同様、これならば‥ と Nさんも私もタカを
くくっていたのだが、今回は、アプローチがことごとく失敗。
なんと、内部にアクセスできても、ファイルが開けない。
OSはMarericks。セキュリティーがあまりに固すぎるようだ。
しかもシステムじゃなさそうだ。どうやら内部HDの問題だ‥。

この時 はじめてコトの重大性に気がついた。

殆どのFileはバックアップがあるのだが、この週末に行う予定
のセミナーのファイル(Keynoteでここんとこつくってたやつ‥)
いかん、これ 控えてなかった‥。

Nさんに礼を述べ、渋谷のApple Storeに持ち込んだのは夕方。
簡単に直りますよ‥ と店員さんの言葉に、一瞬希望を抱くも
外部HDをUSB接続し、同じ試みをしていた店員さんの顔が曇る。
 ‥だめですねえ。HDかそれを繋ぐケーブルの障害のようです。
 ‥データ。なんとか なりませんかねえ。
 ‥可能性は低いですが、原因がケーブルですんでいればです。
  一応、こちらで預かります。金曜日の夕方、きてください。
  ああ、保険の期間中ですので無料ですから。大丈夫ですよ。
 ‥外科手術ですね。よろしく、おねがいします。

カタチあるものは壊れる。機械に文句を言ってはいけない。
こうなったら、このトラブル自体を楽しんじゃおうではないか。
セミナーのファイルは作り直そう。まだ時間はある。

小心者の私が、こんなふうに発想の転換ができるのは、きっと
建築家 という職業での経験値からくるのでしょう。
(誤解をおそれず いうならば。)
住宅や集合住宅の計画は なかなか思い通りにいきません。
設計段階では、コストや法規制との戦いの連続です。
建主の方も私も、それを障害物としてネガティブに捉えずに
超えるべくハードルとして、問題解決自体を楽しめたとき…。
想定をこえた付加価値が、建築に生まれます。 ほんとです。

Mac Book は結局HDの交換。ただ、セミナーは乗り切った。
成果より、なにか実りのある一週間でありました。

Nさんはじめ、お世話になったみなさま。感謝です。